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令和4年(2022年)8月豪雨災害/新潟県村上市、関川村 現地調査 写真レポート
(文・写真:山村武彦)

2022年8月3日15時15分・大雨特別警報
山形県米沢市、長井市、南陽市、高畠町、川西町、小国町、飯豊町
2022年8月4日01時56分・大雨特別警報
新潟県村上市、胎内市、関川村

同時多発的土砂災害発生/新潟県村上市



土石流と共に大量の流木が流下
小岩内区の背後の山間部十数カ所で山肌が崩落/斜面崩壊で樹木も根こそぎ谷合に土石流となって集落を襲った

村上市小岩内区

村上市小岩内区
この地区で全壊1棟、半壊4棟と報道されているが、被害は増える可能性がある


室内に流れ込んだ土砂



2日目、新潟県花角英世知事と村上市高橋邦芳市長の現地視察
小岩内区の松本佐一区長から説明を受ける花角英世県知事(下図・右)

復旧に全力
 土砂災害から2日目、被災地を視察した花角英世県知事は「被害の大きさに言葉がでない。特に流木の量のダメージが本当におそろしいものがある。とにかく、復旧に向けて全力を挙げなければいけない。今日から県が道路の流木の撤去を始めている。安全な生活を一刻も早く取り戻せるようにしなけない。村上市としっかり連携してやっていきたい」と述べた。また、村上市で死亡者が出なかったことに関して、「これは不幸中の幸いだ。地域のみなさんの防災意識が高かったことと、リーダーのみなさんの声がけが功を奏したということだろう。昭和42年に大きな災害があって、災害への感度が高いということもあるのかもしれない」と話した。
ボランティアセンター開設
 村上市と関川村の社会福祉協議会は5日までにボランティアセンターを設置。村上市は7日から、関川村は8日からボランティアに浸水家具の片づけや泥のかき出しなどに当たってもらう。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、ボランティアは新潟県北地域や県内在住者に限定する。村上市は神林農村環境改善センターに本部を設置。申し込みは直接本部で受け付ける。当面は県北地域の住民が対象で、新型コロナウイルスのワクチン接種済が条件。関川村では「せきかわふれあいどーむ」に拠点を置き、6日から被災住民訪問で支援ニーズを確認する。ボランティアは県内在住者に限る方向で検討している。


村上市消防団小岩内分団・消防機材小屋

特別警報発表前に土石流発生か
● 8月3日13時過ぎ、新潟気象台は下越地方に記録的大雨による浸水、土砂災害に厳重警戒を呼びかけた。
● 8月3日13時過ぎ、気象庁は山形県と新潟県に「顕著な大雨に関する情報」発表(これは線状降水帯と呼ばれる非常に発達した雨雲の帯がかかり続けた時などに発表される。すでに大雨が降っている状態。東北地方で発表されるのは運用開始以来初めて。
● 8月3日18時9分、気象庁は新潟県下越地方に再び「顕著な大雨に関する情報」発表。
● 8月3日21時ごろ、村上市は避難指示を発令。
● 8月3日21時過ぎ、小岩内地区・危険区域の緊急避難開始。
● 8月3日22時ごろ、避難していた小岩内公会堂から再避難開始。
8月4日01時ごろ、小岩内区の裏山が崩壊し大規模な土石流発生。
● 8月4日01時56分、気象庁は新潟県下越地方に「大雨特別警報」発表。
● 8月4日02時までの1時間に161mmの記録的降雨量観測(村上市に隣接する関川村の国交省観測所)。

住民の避難誘導にあたった村上市消防団神林方面隊の松本宏之(46)さん

小岩内公会堂
小岩内の奇跡(こいわうちのきせき)
 新潟県下越地方に特別警報が発表される直前の土石流。これほど大規模な土石流に襲われたにもかかわらず、村上市小岩内区では負傷者1名だけで犠牲者はゼロ。過去50年間災害現場を見てきたが、これは「小岩内の奇跡」といっても過言ではない。松本佐一区長さん(69)と村上市消防団神林方面隊第2分団7部の松本宏之(46)さんらに話を聞いた。
 「テレビなどで線状降水帯が発生し記録的大雨の予報が出て警戒していたが、村上市が午後9時ごろ避難指示を発令したので、区長、役員、消防団の判断で3日の午後9時過ぎ、危険区域の全員避難を決め、消防団員たちが手分けをして一軒ずつ住宅を回り、緊急避難を呼びかけた」(小岩内区の住民は36世帯、114人【7月1日現在】)。
 みんな着の身着のままで一時集合場所に集まった。指定避難所は近くの学校だったが、すでに途中の土砂崩れで学校までの道路は通行不能状態。また、荒川が氾濫危険水位を超えたとの情報も入った。このまま学校に避難するのはかえって危険と判断。その時点で「避難所への避難を断念し地区の公会堂に避難することにした」という。
住民を救った「再避難」判断
 いったんは公会堂に避難したものの、その後も雨の降りようは尋常でなく、雨は激しさを増しこのまま公会堂にいては危険と考え、3日午後10時ごろ、松本区長はそこから直線距離で約150メートルほど離れた所にある高台の住宅街への「再避難」を決断する。消防団員たちと共に住民たちを説得して避難を開始。避難してきたうちの多くが高齢者で、車いすの人もいた。その人たちを足腰の強い消防団員たちが抱きかかえるように付き添い、また車いすを数人で持ち上げるようにして高台に向かう。降りしきる強い雨の中、雨合羽もなかったのでビニール袋を頭にかぶせた状態で坂を上ったが、ぐっしょりだった。その時はまだ停電していなかったので、街灯の明かりがついていた。高台の住宅街に着くとそこに住む人たちが自宅を開放、びしょ濡れの避難者たちを分散して受け入れ、タオル、着替え、飲み物や軽食、布団を提供する。
 その再避難から約2時間後の4日午前1時ごろ、轟音と共に大規模土石流が集落を襲う。沢近くの住宅に大量の土砂や流木が流れ込み、最初にみんなが避難していた公会堂も流されてきた屋根がぶつかり大量の濁流・土砂・流木に飲み込まれた。しかし、高台に再避難した人たちは全員無事だった。あのまま危険区域の自宅や公会堂にいたら多くの犠牲を出したものと思われる。この大雨で区内では男性1名が骨折などの重傷は負ったものの、死者と行方不明者は一人もいなかった。
 松本区長は「55年前の羽越水害の経験があったから、高台へ再避難できた。今回は短時間に集中してどっと大量の雨が降り、川の水かさが急に増して、流れてきた石がコンクリートに激しくぶつかる音が聞こえたので、ここにとどまるのは危ない」と思ったそうだ。最初に避難した公会堂は羽越水害の時にも被害のあった場所だったからだ。松本区長は再避難を決断したとき「『空振りでもいい』と開き直り、高台に着いてからもは自宅を心配して戻りたいという声もあったが、消防団と一緒に『朝までここにいてくれ』と住民たちに懸命に呼びかけた」という。「こんな結果になることは誰にもわからなかったが、もし、高台に再避難する判断が遅かったら犠牲者が出ていたかもしれない」と振り返った。危機一髪だった。ちなみに羽越水害(昭和42年・1967年8月、羽越豪雨ともいう)の時、松本区長は当時中学2年生で、集落が流木と大量の土砂に襲われた恐ろしい土石流のことを覚えていた。その後、沢の上流に砂防堰堤もでき、最近は大きな水害はなかった。しかし、2日間降り続いた羽越水害とは違い、今回は短時間だったが雨の降り方が経験したことのないほど異常に激しく、羽越水害を上回る大規模な土石流になった。
 消防団の松本宏之さんは「土砂と流木で住宅などに大変な被害を受けたが、ともかくみんなが無事だったことが不幸中の幸い。これからみんなと力を合わせて必ず復興する」と話す。この地区は普段から地域コミュニティがしっかりしており、リーダーである松本区長への信頼も篤い。区長の冷静適切な決断と役員たちや消防団員たちの使命感と行動力が多くの人命を救った。
小岩内の収穫祭
 松本区長らによると、小岩内は普段から町内の結束力が高く、地域行事にも皆が積極的に参加していたという。今でこそ新型コロナ禍で中止しているが、それまでは盛大な収穫祭などが開かれ、そうした地域行事のひとつひとつが住民たちの親睦を高めてきた。とくに小岩内収穫祭は、9月1日前後の防災週間に行われ、防災訓練も兼ねていた。恒例の小岩内獅子舞保存会による演舞だけでなく、子供も喜ぶ金魚すくい、ソーメン流し、焼き鳥、焼きそばなどの屋台も出る。このときはできるだけ女性の手を煩わせず男だけで準備し運営するのが習わし。普段の生活で休みのない女性たちを休ませ、自然に感謝し収穫を祝いつつ、災害を忘れないようにする年に一度の収穫祭はいつも大盛況だった。そして収穫祭がお開きになると男も女も交えた「飲み会」が開かれる。こうした年中行事もあって、住民の防災意識は高く隣近所の付き合いは昔から親密で、困ったときはお互い様で助け合うのが当たり前だった。今回、危険区域の人たちが高台に避難した時、高台住宅街の人たちは躊躇なく避難者を受け入れ、いたわり、支えた。それは日頃のコミュニティの親密力、同じ時代、同じ地域に住む運命共同体意識。互いに近くで助け合う「互近助」があってこそ生まれた「小岩内の奇跡」なのかもしれない。
 真面目に生きてきた人たちに、自然は豊かな恵みを与えるだけでなく ときには厳しい試練も強いる。今後、被災者を助け、誰一人取り残さず生活を再建しまちを復興するには、国、県、市、隣接地域の支援が必要。そのためにも地域が心を合わせ一丸となって逆境に立ち向かう勇気と結束力が求められる。復興は長期戦だが小岩内の人たちならきっとやり遂げられる。粘り強く困難を克服し復興がなったとき、そのときが真の「小岩内の奇跡」なのではなかろうか。試練に負けず がんばれ!小岩内!
小岩内収穫祭(平成26年8月31日)

新潟県土砂災害危険個所図(村上市関係)/小岩内は土石流危険渓流指定区域

村上市洪水・土砂災害ハザードマップ/小岩内は土砂災害(土石流)警戒区域


土砂、流木、家財の残骸で埋まった用水路


土石流の土砂は真砂土のようだ

小岩内のお地蔵様、土石流から残ったお地蔵様の周りにあった30体ほどの小さなお地蔵様は流失

実りの秋目前の水害で、農業も甚大被害を受けている

JR坂町駅付近


赤字路線・JR米坂線(村上市坂町~山形県米沢市)、再開に不安
 8月3日からの豪雨の影響で、線路が埋まったり橋が崩落していてJR米坂線は全線で運休している。被害が広範囲にわたるため、現在運転再開の見込みは立っていない。沿線住民は1日も早い復旧を願っているが「このまま再開しないのでは?」との不安の声が聞こえる。その理由はJR東日本が7月に公表した米坂線についての全区間赤字という情報にある。2019年の赤字額は坂町~小国(山形県小国町)間の赤字は8億1700万円に上る。21年度の1キロメートルあたりの1日平均乗客数は、坂町~小国間が124人、小国~今泉間が256人と低迷。関川村で地域おこし協力隊員として活動する加藤さん(38)は「米坂線は非電化で架線がないため、豊かな自然を背景に撮影に来る観光客が多い。村を盛り上げる貴重な魅力資源なので、残してもらいたい」と願う。通院で利用する高齢者(79)は「高齢者向けの乗り合わせタクシーもありがたいが、電車の方が自由が利くので、米坂線がないと不便」という。災害を機に合理化が進めば過疎化や高齢化に拍車がかかる可能性がある。

坂町駅前商店街も約1メートル浸水
ここは一段高くなっているが、それでもここまで水が来た

荒川は各所で越水

8月6日のドラッグトップス↑、8月4日↓
画像:新潟日報

警戒中の消防車が濁流で損壊した橋で立ち往生/関川村の県道

猛烈豪雨で視界不良の中、橋の異常を察知し事故を回避することは困難(幸い負傷者なし)
新潟県関川村で2022年10月4日午前2時までの1時間に149mmの記録的降雨量を観測
(最大1時間降雨量歴代第1位:1999年千葉県香取及び1982年長崎県長浦岳で1時間に153mm)
県道の多くが冠水状態で中小河川は濁流があふれていた可能性が高いと推測されている

現地調査の合間、早起きをして新潟市白山神社へ
降りしきる雨の中、蓮は気品あるたたずまいで、清らかにそして艶やかに咲いていた
私の好きな蓮の花言葉「苦しいことがあっても 必ず幸せが訪れる」
被災者に心よりお見舞い申し上げ、一日も早い復興をお祈り申し上げます

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