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2007能登半島沖地震現地調査写真レポート
 
令和6年能登半島地震/現地写真レポート(文・写真:山村武彦)
  
出典:国土地理院

令和6年能登半島地震(概要)
・発生:令和6年(2024年)1月1日16時10分
・震央(断層破壊が始まった地点の真上にあたる地表の点):石川県鳳珠郡穴水町北東42㎞
・地震の規模:マグニチュード7.6(阪神・淡路大震災の約2.8倍のエネルギー)
・震度7:石川県輪島市、羽咋(はくい)郡志賀(しか)町
・震度6強:七尾市垣吉町、能登島向田町、輪島市鳳至町・河井町、珠洲市三崎町・正院町・大谷町、穴水町大町、能登町松波
・津波:
・死者・安否不明者:死者240人 安否不明者:12人(2024年2月5日午前8時現在)
・緊急地震速報第1報:1月1日16時10分16秒、第20報(57.1秒後)緊急地震速報範囲は北陸から信越、東北、関東、東海、近畿地方に至る21都府県に拡大
・発震機構:北西-南東方向に圧力軸を持つ南東傾斜の逆断層型
・推定震源断層:北東-南西に延びる約150㎞の断層
・大津波警報:1月1日16時22分、気象庁は能登地方に大津波警報発表(同日20時30分、津波警報に切り替え)
・津波警報:1月1日16時12分、山形県・新潟県上中越下越・佐渡島・富山県・福井県・兵庫県北部の各津波予報区に津波警報発表(2日1時15分津波注意報に切り替え)、注意報も1月2日10:00時にすべて解除された。
・津波:石川県輪島市輪島港1.2m、その後、気象庁機動調査班(JMA-MOT)による現地調査で津波が斜面を駆け上がった高さ(溯上高)は、新潟県上越市船見公園で5.8mあったと発表、また東京大学地震研究所の現地調査によると、石川県志賀町の赤崎漁港から安部屋漁港にかけての津波痕跡から溯上高は約4.2mと推定されている。

高齢のまちを襲った「元日の大地震」
 石川県輪島市と志賀町で最大震度7を観測した令和6年能登半島地震。日本の災害史上これほどの大地震が元日に起きた例は過去にない。
 能登の激しい潮風に耐えるため、外回りにはトタンなどを避け、屋根は能登の粘土で造った能登瓦で葺き、外壁は杉や檜板を重ねた「下見板張り」が先人の知恵をつなぐ伝統建築、しかし、65最以上の老齢人口割合が、珠洲市52.5%、能登町51.4%、穴水町50.0%、輪島市46.9%(令和3年10月1日現在)のまちは、家屋の高齢化も進んでいた。倒壊家屋の多くが1981年の新耐震基準前の建築と推定され、1995年の阪神・淡路大震災と同じように、古い木造家屋の1階が倒壊していた。NHKが珠洲市に設置していたライブカメラは、地震直後に町が激しく揺れ、家屋倒壊を思わせる立ち上る土煙や屋根瓦のが散乱する様子を映し出し、被害の大きさを予見させていた。
災害報道、空白の3日間
 気象庁は地震の3分後に石川県能登・加賀、山形県、新潟県上中越・佐渡、富山県、福井県、兵庫県北部に津波警報、そのほか広い地域に津波注意報を発表した。さらに発災12分後、能登地方に大津波警報が発表された。その直後からNHKの女性アナウンサーによる津波避難への呼びかけが始まる。一段とトーンを上げた絶叫調の呼びかけは、多くの人の背中を押し迅速避難に寄与したものと評価している。
 その一方、NHKは空撮の出遅れもあってか、「災害報道のNHK」らしさは影を潜めていた。その日は終日災害報道を続けたものの、翌日からは態勢を縮減したように見えた。3日目になると、ニュース以外は番組の宣伝やお笑い・芸能などの放送、そうしたNHKに倣い民放キー局も3日目で正月編成に戻している。
 私は1時間後に民放テレビのスタジオに入ったが、最初は断片情報や未確認情報が多く被災地の映像がほとんどなかったため、津波と余震の注意喚起に主力を置かざるを得なかった。2日目に津波警報・注意報がすべて解除されると地震特別番組は打ち切られた。そして、被害の様相が顕著になった4日目、各局は初めて本腰を入れて災害報道に乗り出すことになる。
 そのころ、救助・救援を求める被災地からの痛切な声は、深刻な通信障害と道路寸断が妨げていた。この地震で亡くなった222人の死因を分析した石川県警によると、そのうち92人(41%)が建物の下敷きによる圧死、窒息・呼吸不全が49人(22%)、低体温・凍死32人(14%)、外傷性ショック等28人(13%)、焼死3人(1%)の順。圧死、窒息・呼吸不全・低体温症・凍死など死因の大部分が建物の下敷きによるものと推定され、初動救助が早ければ助かった命かあったかもしれない。
 日暮れ間際、組織的にも手薄な正月、アクセスなどの地理的制約という悪条件が重なったにしても、災害報道の遅れが関係機関の初動に影響を与えた可能性もある。「災害が激甚であればあるほど、発災直後の被災地からは情報発信ができない」「直後は情報の欠片から被害を洞察・展開を予測し、外部から真剣・迅速に情報を取りに行くしかない」。こうした過去の教訓が今回の地震では生かせなかった。私も含め、今後きちんと精査検証し猛省しなければならない。
早期復旧・復興・支援を阻む長期断水
 発災から1か月後の2月1日現在、奥能登を中心に広い範囲の約4万戸以上が断水している。インフラの応急復旧・被災地支援の阻害要因が、長期断水。被災地内に宿泊施設があっても断水のためトイレ、炊事等ができず、人を受け入れることができない。そのため、金沢や小松市内に宿泊し早朝に被災地に向かい、夕方また戻るという往復に長時間費やしている。その結果、効率は上がらず、限られた道路の渋滞が恒常的に発生している。断水解消の長期化にも影響するなど悪いスパイラルに巻き込まれている。(ちなみに私は、金沢から七尾線で七尾駅までJRで行き、そこからは地理に詳しい地元の車両で移動するようにして、交通に負荷をかけないようにしてきた)


2024年1月1日(月)16時10分に能登半島を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生
石川県輪島市、志賀町で震度7。珠洲市、能登町、穴水町、七尾市などで震度6強の揺れを観測

輪島市鹿磯(かいそ)港/海沿い地盤が最大3.9メートル隆起
 出典:国土地理院
「だいち2号」観測データの2.5次元解析による令和6年能登半島地震(2024年1月1日)に伴う地殻変動

輪島市鹿磯(かいそ)港/沿岸の陸化で港がなくなった
出典:国土地理院

輪島市鹿磯港

輪島市門前町黒島海岸

輪島市黒島地区の代表的廻船問屋住宅「旧角海(かどみ)家住宅」
かつて大阪と北海道を結んだ北前船の拠点として栄えた黒島地区の住宅街
国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に指定されていた
2007年の能登半島沖地震で半壊被害を受け、寄贈された市が再建。耐震性があったとされるが今回の震災で損壊

輪島市/各所でマンホールが浮き上がっていた
輪島市


輪島市・7階建て「五島屋ビル」倒壊
右側にあったビルに無関係の3階建て住宅兼居酒屋を押しつぶし女性(48才・19才母子)2名死亡

倒壊した五島屋ビルの基礎部分

輪島塗工房も被災



能登の強い潮風のため、塩害対策としてトタンなどは使用せず
屋根は能登瓦で葺き、外壁は杉やひのき板を重ねた「下見板張り」地震で損壊すると延焼拡大しやすい

震度7の揺れの12分後後、能登地方に大津波警報、輪島市朝市通りから出火/上記画像:JNNニュース(1月1日17時54分)

輪島市河井町・通称朝市通り地区/この火災で約200棟焼失

安否不明者の捜索活動

焼けたLPガス容器

寒冷地では家庭で軽油や灯油を貯蔵するホームタンク(490㍑)が設置されることが多い


地震発生12分後、気象庁は能登に大津波警報(予想津波高5メートル)発表
消防隊も大津波警報中は海に近づくことを控えていたが、大津波警報解除後に港から海水を取水

大津波警報で河井地区(朝市通り)の人々も避難したが、避難できなかった人や逃げ遅れた人が安否不明者となっている

輪島市消防団門前分団/施設倒壊、出動できず無念だったという

奥能登広域事務組合消防本部と消防団が消火活動を行おうとしたが、消防水利確保困難で延焼拡大
地元消防関係者からは、目の前の火を消せなかった無念の声が数多く聞かれた


断水で消火栓使用不能、防火水槽も倒壊家屋等で近づけず、近くの川は地殻変動で水がなく
やむを得ず、ホースを伸ばし遠くの防火水槽や大津波警報解除後に港から海水を取水し消火にあたった

令和6年能登半島地震において発生した輪島市大規模火災における消防庁長官の火災原因調査(速報)
令和6年2月15日 総務省消防庁消防研究センター



以上出典/総務省消防庁消防研究センター 

能登町白丸地区は大揺れの後、4m以上の津波襲来、その後火災発生という三重苦に見舞われた

 



地震・津波・火災で甚大被害を被った能登町白丸地区
これほどの被害に遭いながら、住民同士が声かけ合い、身体の不自由な高齢者たちを車に乗せたり、負ぶったりして
安全な場所に避難し、犠牲者は1名だけだった「互近助」を実践した町


以下は珠洲市 
珠洲市





 防災行政無線の子機損壊

珠洲市沿岸に津波襲来




以下は石川県河北郡内灘町
石川県河北郡内灘町は、震度5弱の揺れだったにもかかわらず、各地で液状化が発生、多数の家屋が損壊した

液状化で地盤が傾き、階段が壁のようになってしまった

液状化で1.2メートル以上沈んだように見える信号機・実際は道路が隆起したもの

金沢市に隣接する内灘町は、震央の珠洲市から約100㎞離れていて、震度5弱だった
ここは砂丘が続く海岸線と河北潟に挟まれた地域で干拓地が住宅地として開発されてきた
古くは江戸時代の1799年金沢地震でも液状化があったことが知られている
液状化は、地盤改良など行わない限り、同じ場所で繰り返し発生する可能性がある






小学校も立ち入り禁止

 
令和6年能登半島地震現地調査写真レポート(その2)  2007年能登半島沖地震現地調査写真レポート
 

犠牲者のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災者の一日も早い生活再建をご祈念申し上げます

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