山村武彦プロフィール防災システム研究所1995 阪神・淡路大震災2008 四川大地震2009 スマトラ沖地震災害現地調査


インド西部地震

地震発生/2001年1月26日午前8時46分・震源地/インド西部グラジャート州
地震の規模/インド政府発表M7.9(関東大震災(死者14万人)と同規模)


家族の無事を祈りながら、救助活動を見守る人々
地震死者10万人の恐れ(1月30日フェルナンデス国防相)
 インド国防大臣のフェルナンデス氏は30日「死者は最悪10万人、負傷者は約20万人に達する可能性がある」と発表した。そして、震源地に近いグジャラート州のプジ市は「もはや存在していない」と街中が壊滅したことを強調した。
世界中から救援隊が駆けつけているが、地震発生から時間の経過とともに、瓦礫に埋まった人々を救出することが困難になりつつある。日本からも民間のレスキュー救助犬が現地で必死の救助活動にあたっている。日赤医療救援隊12名も30日から現地で救援活動を開始した。


助け出された子供

家族を荼毘に付し、泣き崩れる人

2001年1月26日午前8時46分(日本時間26日午後0時16分)ごろ、インド西部のグジャラート州プジ市地方で、マグニチュード7.9の強い地震が発生した。これまでのところ建物が倒壊するなどして、現在確認されているだけで13000人の死者が確認された。依然として多くの人が建物の下敷きになっているとみられ、被害は今後さらに拡大する見込み。震源地に近い被害の多かったプジ市では、衛生状態が悪く疫病の蔓延が心配されている。被災地区だけでなく、震源地周辺では食料、医薬品の不足が深刻化している模様。


グジャラート州プジ市

国際レスキュー隊
ンドでは1993年9月30日にもマグニチュード6.4の地震で、約3万人が、石造りの家の下敷きになって死にました。掘り出される遺体は、伝染病を防ぐため、近くの広場に積まれて、次々と火葬にされました。現地調査に行った私は、おびただしい数の立ちのぼる煙を、唇を噛みしめて見つめていました。この地域は伝統的に、建物は日干し煉瓦造りが多く、鉄筋コンクリート造りでも鉄筋量が少ないように思われました。
そして、2001年、悲劇は再びインドで起きました。犠牲者のご冥福を心よりお祈りいたします。また、被災者にお見舞い申し上げます。

1993年9月30日インドマハラシュトラ州(山村撮影)
インドは昔、南方のオーストラリアに近い場所にあった島が、プレートに乗って(プレートテクにクス運動)長い期間を経て、ユーラシア大陸に衝突し、その圧力でヒマラヤ山脈が生まれたと言われています。現在もプレートのプレッシャーが常に南北にかかっていて、内陸部でも地震が多発している。