防災診断チームの活躍
大地震の場合、そのあとしばらく余震が続きます。サンフランシスコ地震では、10月17日の地震のあと10月21日までの4日間で、余震は数千回を数え、マグニチュード4以上の地震が22回も発生しています。
停電、ガス漏れ、火災の恐怖の中で人々は眠れない夜を過ごし、相次ぐ余震のたびに、また大きな地震がきたのではないかと、その都度不安をつのらせました。
本震で傾いたり、ひび割れの入った壁などが余震で音を立てて崩れたりしました。
地震のあった次の日から、2人1組の防災診断チーム600組が被災地の建築物の診断を行い、大活躍しました。
構造、地盤、被災の程度等を細かく記載した指示書に従ってチェックを行い、余震や二次災害の危険性の有無を調べました。そして、危険度の高い建物には立入禁止のステッカーを貼り、危険な区域には車輌を含み進入禁止のテープやロープを張りました。
この素早い対応は、日頃地震を想定して防災診断チームを編成し、チェック票や指示書による訓練をしていたおかげです。
教訓
- 日本でも大地震に備えて、地域ごとに地震前の防災診断(地震を想定して危険がありそうな建物には、注意や警告を出す)をすべきである。
- また地震の後も早急な対応ができるような指導書づくりと一緒に、チーム編成づくりに今すぐ着手すべきである。
- 建築防災協会という特殊建築物調査士の協会があるので、こういう技術者を生かせばむづかしくはないと思うのである。
(現在はいくつかの自治体で建築物応急危険度判定員制度が普及してきた)
漏れたガスで火災発生
サンフランシスコのビジネス街から車で約10分から15分、日本でも必ず観光客が行く所として有名なフイッシャーマンズワーフがある所、建物の被害がたくさんあったこのマリーナ地区は、漏れたガスに何かの火が引火して夜通し空を赤く染めました。
この地区は、1906年のサンフランシスコ大地震の時にも甚大な被害を出した所です。 その時の教訓を生かして、家と家のすき間をなくすよう指導を受けて、木造の家がまるで長屋のように並んでいます。
白い瀟洒な建物は2階または3階建てで、1階がたいていガレージになっています。だいたいが木骨造りで、外装はモルタルまたはレンガが多く見られます。
その一角での火事です。1906年4月におきたサンフランシスコ大地震では、3日間火災が続いたので、その再来かと住民を不安に陥れました。
しかし、幸いにして日没前でしたし、ほとんど風もなく、消火栓が使用不能になったにもかかわらず、消防艇で取水し、大口径高圧送水ホースを活用、ポータブルウォータ一システムを中継して消火活動が行われ、大火にならずに済みました。
それでも完全に鎮火するまで一晩中燃え続けて、余震におびえる住民には恐怖の一夜でした。
教訓
- 消火栓設備はできるだけ地域ごとに区分けして設置すべきである。そうしないと一カ所配管がだめになったら全て使用不能になる。
- 耐震性の水源を各地区に埋設しておくべきである。
- 大型の消火器を配置すべきである。
バスが小舟のようにゆれた
サンフランシスコでツアーコンダクターをしている今別府氏(33才男性)は、バスの中で地震にあった時のことを、身ぶりを交えながら話してくれました。
最初それが地震だと気がつくまでに、少し時間がかかったそうです。
「路線バスが停留所に止まった時、いきなり小舟のようにゆれました。バスの中のポールにつかまって立っていたのだけど、バスが激しく左右にゆれて、ポールに体がぶつかりました。小さな悲鳴があがり、黒人の女性が床にうづくまって両手で頭を抱えました。
"地震だ!"運転手は、中年の白人だったが青ざめた顔で叫びました。
外を見ると、建物とか街路灯がゆれています。建物から人々が飛び出して来て、何か言っているのが見えました。被害の少なかった市街地だったのでよかった」
とても永い時間のように感じたそうです。もう少し後だったら、ベイブリッジを渡っていたかもしれないと、彼は話していました。
ニューズウィークの記事の中で、アーネット・へンリーは、オークランドの自宅から高速道路880号線の惨状を目撃して、こう言っています。
「地面はサーフボードのように波に乗り、高速道路では車が跳ねて、ディズニーの映画を見ているようだった」
教訓
〈バスに乗っている時〉
- バスは横倒しにならない限り安全である。地震を感じたら左側に寄せて停車する。バスからあわてて外へ出ない。外が安全と思ったら、歩いてもっと安全な所へ行く。
- バスにもたいていカーラジオがついているので、ラジオをかけてもらって情報を聞く。
〈車に乗っている時〉
- まずハンドルをしっかり持って、建物が倒れてこないか確認して、左側に寄せて車を止める。
- カーラジオを入れて、情報を収集する。
- 前後の車に注意して、地割れ、陥没はないか、道路の状況を確かめる。
- 緊急車輌の通行に支障がないか確認し、車を置いた場所の目印を憶えておき、自分の名前、連絡先をメモして車に残す。
- キーをつけたまま、貴重品と車検証を持って安全な場所に避難する。
エレベーター・エスカレーターに乗っている時
サンフランシスコでも、地震の時エレベーターに閉じこめられた人々がたくさんいました。
「エレベーターに乗っていたら、急に揺れ出し、壁にガタン、ガタンとぶつかるんです。そのあと途中で動かなくなってしまいました。いつか急速に落下するのではないかと、生きた心地がしませんでした」
やり手のビジネスマンであるウイリーは救助されたあと、閉じ込められた恐怖をそう語りました。 宮城県沖地震で東北地方にある約6000台のエレベーターのうち約10%が被害を受けたそうです。その被害の主なものはつぎのとおりです。
- 直接的な被害としては、釣合いオモリの脱線(183件)や、ロープやケーブル類の揺れによる昇降内機器への引っかかり、出入口の壁の破損などがあげられる。
- 間接的な被害としては人が缶詰めになったこと(53件)、そして教訓となるのは、ビル屋上の貯水タンクの倒壊によって漏水した水が機器にかかり、運転不能になってしまったこと。
高層マンションやアパート、オフィスでは、今やエレベーターは必需設備です。
そこに生活があり、オフィスがある人々は地震で止まってしまったエレベーターを恨めしげに横目でにらんで暮らしました。その後何日間も断水が続いたため、飲料水はもちろんのこと、炊事用、洗濯用、トイレ用の水まで用意しなければなりませんでした。エレベーターが使えないため、高層に住む人々は毎日給水車からの水運びが大変な重労働となりました。
毎日重たい水をもって何十段もの階段を昇り降りして、すっかり身体をこわしてしまった人もいました。
エレベーターが止まったため、病院では手術室に病人を運べなくなり、その他の所でも荷物が運べなくなったりして、作業がマヒ状態になってしまいました。
教訓
〈エレベーターに乗っている時〉
- 一刻も早くエレベーターの外へ出ること。近くの階段で早く降りる。欲ばって下まで降りてしまおうなどと思わぬことである。最新のエレベーターは地震を感じると近くの階で止まるようになっているものが多い。
- もし、エレベーターが途中で止まり、缶詰めになってしまったら、落着いて救援を待つ。中には必ずインターホンや非常ベルや電話などが設置されているので、管理人をそれで呼び出し、こちらの状況を伝えて、その指示に従う。エレベーターのドアは、防火戸の役割も果しているので、大人の力であれば手で扉を開けることは可能だが、やたらに開けないほうがよい。火の手や煙があるかもしれないから、管理人の指示を待ってからのほうがよい。
- 現在は非常電源のついたものもある。エレベーターの中には非常時の注意事項が表示してある。ふだんそれを読んでおくことも大切である。
〈エスカレーターに乗っている時〉
- エスカレーターは停電しても缶詰めになることはないが、止まったエスカレーターを階段がわりに使うのは危険である。
- エスカレーターそのものは充分頑丈に造られているが、その取り付け部が梁に固定されている部分が地震で破損したり、ずれたりしていたら大変。その段差につまずいたりすると将棋倒しにならないとも限らない。
- 火事や地震などの災害時、たとえ動いているエレベーターやエスカレーターがあったとしても絶対乗らないことである。階段を避難するほうが安全である。
電気が止まった
サンフランシスコ地震の時、電気は完全に2日間止まりました。
日本の電力会社とガス会社を一緒にしたようなPG&Eという会社の渡辺氏に聞きました。
ブレーカーがあちこちで壊れ、2基の発電機が故障しました。このため市内全域にわたって2日間送電できませんでした。一部の地域では1カ月たっても復旧できなかった所もあったといいます。
発電所が復旧しても、末端(家庭や事業所)の安全が確認されなければ、送電できません。
宮城県沖地震の時は、東北電力管内で地震直後68万戸が停電し、必死の復旧作業を行ったが約4日間停電しました。宮城県内2つの火力発電所と変電所で変圧器・しゃ断器など60台が故障、その他電柱の倒壊や、架線切れなど多くの被害が発生しました。
すべての交通信号が消えて交通混乱をおこし、コンピューターが停止し、エレベーターが止まりました。揚水ポンプが作動しないため、建物の中では断水が多く発生しました。ガソリンスタンドも機能がマヒしました。
電気に支えられた都市文明は、地震の前になすすべもなく、お手あげ状態になってしまいました。
この時ほど、文化生活とは何と無防備な砂上の楼閣であったかと、思い知らされるのです。
自家発電設備があった所も、その自家発電自身の耐震性を考えていなかったものが多く、震動で故障するケースが多発しました。
教訓
- 耐震性を考慮した自家発電が必要である。
- 交通信号機にも非常電源を緊急に設置することを考えなければならない。
- 一般家庭でも、小型の携帯用発電機を備えることをおすすめする。また、コンピュータにはが必需品です
アメリカやヨーロッパのように、電線を地中に埋設した配管の中に通してある場合は、比較的被害は少ない。しかし日本はまだほとんどが電柱をたて、電線を張って送電している現状である。電柱の倒壊、架線切れは防ぎようがない。結局電気の被害は多くなり、停電する時間が長いことを覚悟しなければならない。
報道は全体を伝えてほしい
日本とサンフランシスコの時差は約16時間(4月初〜10月末)です。
地震が発生した10月17日午後5時4分は日本時間の18日午前9時4分でした。地震発生後30分くらいから、日本では衛星中継で生々しく地震の発生と被害を伝えました。
最初私がテレビやラジオで見たり聞いたりした第一印象では、サンフランシスコが壊滅的地震に襲われたと感じてしまいました。死者も300人以上あるいは1000人以上とまちまちだった。市街地のほとんどの建物が倒壊し、道路は全て破壊されてしまったと思われました。
電話は、アメリカの国内線も、国際線も、殺到する問合せ電話、知人友人の消息を知りたい電話で、全くパンクしてしまいました。
報道は被害の激しい所が優先されます。これはやむを得ないことだと思いますが、しかし、それと並行して、できれば被害をそれほど受けなかった地域の映像とか報告も欲しいのです。そうすることによって問合せ電話の量もセーブされて、人心も安定します。
部分ばかりを報道せず、全体を報道することで混乱を軽減できます。
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Tel:03-5771-6338・Fax:03-5771-6339・メール
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