北海道十勝沖地震(平成15年9月26日)
|稲むらの火|イラン地震|タンク火災|防災講演|津波標識|阪神大震災|奥尻島の津波|津波の教訓|
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平成15年、十勝沖地震・現地調査報告 | ||||||
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その時、防災無線とサイレンが鳴り響いた 平成15年9月26日、私は岩手県宮古市内のホテルの8階で寝ていた。今年、三陸地震津波70周年を機に、二日前から陸中海岸沿い津波跡調査に出かけていたのだ。午前4時50分、突然強い揺れで目を覚ました。振幅の大きい横揺れが40秒ぐらい続いた。すぐテレビをつける。震源地は十勝沖でM8、十勝地方で震度6弱、宮古は震度4。未だ明けやらぬ宮古の空に、津波注意報を告げる防災無線と重苦しいサイレンが鳴り響いた。気象庁は地震発生6分後に津波警報、津波注意報を発令した。(宮古では防潮扉を閉めようとした消防団員がアキレス腱を切り重傷を負った) 直ちに北海道十勝を目指す 苫小牧の原油タンク炎上の映像が流れる。私は直ちに現地行きを決意。携帯ラジオで情報を聴きながら、バスで宮古から盛岡経由花巻空港へ行き、空路千歳に飛んだ。そのまま釧路に向かおうとしたが、釧路空港管制塔が壊れ空港は閉鎖されているとのこと。また、根室本線は特急まりもが脱線し不通。とりあえず帯広まで行き、そこから車で十勝管内に入った。 津波で2人行方不明 既に地震発生から10時間が経過していたが、時折余震が襲い道路脇の電柱や電線が不気味に揺れる。津波は地震発生後30分後から数時間、繰り返し沿岸を襲い、十勝川を奥深く(数Kmも)遡ったという。十勝川河口付近では秋アジ(鮭)の一本釣りをしていた男性二人(66歳と69歳)が津波に巻き込まれた模様で、必死の捜索にもかかわらず未だ行方不明となっている。 道路が寸断するも、M8にしては幸い被害は少なかった 17市町で避難勧告が出され、町々にサイレンが鳴り響き避難者は停電で暗闇の中、不安な夜を過ごしていた。国道336号線など主要道や橋が損壊し、各所で通行止めや交通規制が行われていた。道路には亀裂や大きな段差があり、道路脇にある多数の電柱が皆大きく傾斜していた。それを迂回しながら十勝港から釧路までの現地調査を実施した。 津波は午前5時24分に広尾町の十勝港で2m53cmの第一波を観測したが、襲来までのタイムラグがあったことも幸いした。また、1993年1月の釧路沖地震、1994年の北海道東方沖地震など、たびたび地震を経験している住民は、地震イコール津波という意識が常にあり、被害は最小限に止めることができた。また、地震発生6分後に発令した気象庁の迅速な津波警報と、地元防災関係者の迅速、適切な広報活動と厳戒態勢が功を奏した。 しかし、地震にはマグニチュードの大きさや震度計に表れない顔がある。今回M8にしては被害が少なかったが、それで油断は禁物。震度6弱に襲われた地区の人々に聞くと、今回の地震の特徴は振幅の大きいゆっくりした揺れ(長周期)が長く続いたことであった。ゴーッという音と共に長い時間横揺れを感じたと証言する。揺れ方のせいか、ガラスの破損や建物の損壊は一部を除き、ほとんど見られなかったことは幸いであった。しかし、一般住宅などでの被害は軽微だったものの、長周期地震(3〜8秒)は出光興産北海道製油所(苫小牧市)の原油タンクなどに新潟地震(昭和39年)以来のスロッシング現象引き起こした。粘性のある液体は地震の揺れで液面が波打ち、浮き蓋を変形させ多くのタンクを損壊させ、二度の火災を発生させた。新潟地震以来40年目にして、あのときの教訓が全く生かされていなかったことに愕然とする。今後想定される東海、東南海、南海地震でも長周期の揺れが襲うとみられているが、阪神大震災のような短周期(1秒以内)と違い、長周期地震では超高層ビル、プラントなどにも多くの被害を及ぼすと想定される。今のうちに、長周期地震を検証し対策を至急講ずるべきである。 現状の津波高さ発表方法は混乱を招く 札幌管区気象台が発表した「03十勝沖地震」の最大津波は、日高管内・浦河港の1.3mの高さ(26日午前6時24分)だった。しかし、北海道開発局は十勝管内広尾町・十勝港で潮位が通常より2.53m高まっていることを観測している。 また、北海道大学地震火山研究観測センターの西村裕一助手と、東北大学大学院工学研究科付属災害制御研究センターの今村文彦教授らの合同調査団が現地調査した結果、日高管内えりも町・百人浜で4mを超える津波が押し寄せたと考えられると発表した。気象庁が発表する津波高さは潮位である。しかし、実際に襲う(又は襲った)波の高さでなければ一般市民に津波は実感できない。1993年7月・北海道南西沖地震の奥尻島のように、気象庁発表潮位と実際に襲った津波の高さとは大きく乖離している。津波警報で1mか2mの津波と言われても「1mか2mくらいなら、たいしたことは無いだろう」と感じてしまう。しかし、それで油断していて、実際にはその数倍高さの津波が襲ってきたら・・・・今回も二人の釣り人が津波にさらわれて行方不明となった。 津波の高さは、震源域の位置、海底や湾の形状によって異なるにしても、現在のコンピュータ技術で容易に推定できる範囲である。 現実にそぐわない、津波高さ発表方法を即時改めるべきである。そうしないと、津波警報を無視したり、誤解して犠牲者となる悲劇がこれからも繰り返されることになる。 全半壊31棟、火災4件。重軽傷者(734人)は家具や電化製品の転倒落下が原因か それにしても、マグニチュード8という巨大地震にもかかわらず、幸いなことに著しい建物被害はあまり見られず、住宅などのガラスもほとんど割れていない(全半壊31棟)。それでも重軽傷者は734人(重傷57人、軽傷677人)に上る。そのほとんどは室内の家具や電化製品の転倒落下によるものと思われる。火災は苫小牧市出光興産北海道製油所を含め4件、ほとんどが事業所からの出火である。|地震とタンク火災| 今後も警戒が必要(災害後の危機管理が重要) しかし、下の写真にもあるように、各所で亀裂や陥没が多数発生している。今後大雨などによる土砂災害の恐れがある。また、建物なども見えないところで地盤の崩壊や陥没している可能性がある。今後、強い余震での崩壊も懸念される。そうした観点からの、緊急防災対策、耐震診断、防災パトロールなどが急務である。一旦鎮火した苫小牧の出光タンクの再炎上が、災害後の危機管理の重要さを物語っている。M8の地震だと今後、余震は数ヶ月は続くと思われる。警戒を怠ってはいけない。 日本列島は地震活動期に入った?(今年は不気味な年) 今年は釧路沖地震、北海道南西沖地震から10周年、日本海中部地震から20周年、根室半島地震から30周年、鳥取地震から60周年、三陸地震津波から70周年、関東大震災から80周年、古くは元禄地震から300周年の節目にあたる。 このように2003年が奇しくも数多くの大地震の周年にあたるということは、過去も周年ごとに大地震が発生してたということでもある。今年7月に宮城地震が発生し、この十勝沖地震と合わせて震度6以上の地震が余震まで入れるとすでに5回も発生している。周年はともかく、間違いなく日本列島は地震の活動期に入ったような気がする。今後もどこで大地震が発生してもおかしくない状況にある。心して防災対策を推進すべきである。|山村武彦|防災システム研究所| |
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平成15年9月26日午前4時50分、北海道十勝沖(北緯41.47度、東経144.05度)を震源とするM8.0の地震が発生した。震源の深さは約42Km。震源域は1952年の十勝沖地震とほぼ同じ場所。北米プレートにもぐりこむ太平洋プレートとの境界で発生したものと思われる。この地震で広い地域で強い横揺れを感じた。北海道新冠町、静内町、鹿追町、幕別町、豊頃町、釧路町、厚岸町、忠類町で震度6弱を記録し、その1時間後にもM7の地震が起き、再度震度6の弱を記録するなど余震は今も続いている。地震により広い範囲で停電、断水し、一時は約38万世帯が被害を受け、約4万人が避難した。(地震と被害の概要) 地震発生6分後、気象庁は北海道、青森、岩手など太平洋沿岸の広い範囲に津波警報、津波注意報を発令。津波は、5寺40分、根室市で90cm。6時24分浦河町で130cm。9時3分、釧路市で120cmなどを観測したと気象庁は発表した。地震発生の25分から30分後から数時間にわたって繰り返し沿岸を襲い、港で漁船などに被害が出たほか、十勝港などで漁業関係者の車両数十台が流され、釣り人二人が行方不明となっている。津波警報は13時間後に解除された。しかし、実際には襟裳岬で4m以上の津波が襲ったと発表されるなど、気象庁の津波高さ発表方法に課題を残した。 |
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地震により2輌めが脱線した特急まりも(音別町) | 各所で道路が損壊(豊頃町)し、交通網寸断 |
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行方不明者2名の捜索(広尾町十勝河口付近) | 十勝川堤防に各所で亀裂(広尾町)二次災害の恐れ |
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幣舞(ぬさまい)橋・橋脚に残された津波水位(釧路港) | 厳島神社の大鳥居倒壊(釧路市) |
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苫小牧で原油タンク炎上 地震発生直後(午前4時52分消防覚知)、苫小牧市にある出光興産北海道製油所の原油タンクから火災が発生炎上。(26日の火災概要) 3万トンタンクと他のタンクをつなぐ継ぎ手から油が漏れて発火したものと見られている。100mも立ち上る黒煙は、津波と余震に怯える市民を一層不安に陥れた。 28日再び同製油所で別のタンク炎上 26日に出火したタンクは約8時間後に鎮火したが、28日になって他のタンクから再び炎上した。このタンクは約26000klのナフサを貯蔵している。前回炎上したタンクから200mしか離れていない。消防車両約30台や、出光自衛消防隊、緊急消防援助隊などが、泡消火薬剤を大量注入し、30日午前6時55分、44時間ぶりに鎮火。その間、強風にあおられた黒煙と泡消火剤が市街地に降り注ぎ、異臭が街を覆った。 炎上したタンクは高さ24m、直径42mの円柱形。上部の鉄製浮き蓋が地震で傾き、ナフサが内側に漏れ出したと推測されている。 (28日の火災概要) 甘い危機管理 この製油所には約105基のタンクがあるが、地震後にそのうち6基のタンクで内容物がふたの上に漏れ、そのうちの4基から油が外部に漏れ出したと消防本部に届けたが、今回出火した2基のタンクは報告されていない。「異臭がする」という苦情で、消防が問い合わせたところ、「ナフサ漏れだが危険はない」と回答していた。幸い死傷者は無かったものの、通報義務違反、危機管理の甘さなどが指摘されている。これまでに度々同製油所の火災もあり、今後出火原因究明と責任が追及される。また、ほかに30基のタンク破損が発見され、当分の間業務停止となるため、燃料供給バランスにに支障が出る可能性もある。 |
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