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2009年9月30日スマトラ沖地震 現地写真リポート((10月10日〜10月13日)文・写真/山村武彦) | 2009年スマトラ地震被災地に見る非日常と日常 | 2004年スマトラ沖地震津波災害 | |
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2009年9月30日19時16分頃(現地時間17時16分)インドネシア西部スマトラ沖(南緯0.9度、東経99.9度・西スマトラ州州都パダン沖240Km・深さ24Km)で、M7.6の地震が発生した。パダン市(PADANG)及びパリアマン市(PARIAMAN)を中心に、多数の建物が崩壊又は地震後の土砂崩壊により約1100人が死亡した。 |
犠牲者のご冥福を祈り、被災者に心よりお見舞い申し上げます。 |
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震央:スマトラ北西沖160Km・深さ87Km(図は気象庁HP及びUSGSより) |
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津波はなかったが・・・・(パダン海岸) |
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パダン最大のショッピングプラザ「ANDALAS」崩壊・出火(2人死亡) |
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看護学校崩壊現場で同僚の遺品を捜す |
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西スマトラ州政府・建設局も崩壊(行政機関等・公的施設約80%損壊) |
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モスクも多数損壊(スマトラは90%イスラム教) |
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映画館全焼(もぎりの女性死亡・観客は避難し無事)地震直後の火災13件(ショッピングプラザ、映画館、ホテル、住宅など) |
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パダンを訪れる著名人が泊まったTHE AMBACANG HOTEL |
パダン・ダウンタウンにある五つ星ホテル「THE AMBACANG HOTEL」崩壊で約80人死亡 |
レンガ積みと鉄筋コンクリート造りどはいえ、脆弱な五つ星ホテル |
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日本の自動車メーカー・ショールーム(三菱、トヨタ、ダイハツ、スズキなど)が軒並み損壊し、新車が押しつぶされた |
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パダン(PADANG)北西約80Kmにあるパリアマン(PARIAMAN)丘陵地で、地震により大規模な土砂崩れ発生300人〜400人が犠牲になった |
結婚式に参列していた300人以上が土砂に巻き込まれ行方不明となっている |
左側に手書きで書かれた地図に書かれた学校、郵便局、集会場、住宅など、川沿いの町があっという間に土砂に埋もれたという 右側は亡くなったか行方不明と見られる人々の写真 |
河川流域に堆積した崩れやすい地層 |
土砂崩壊現場に埋葬された犠牲者の墓標 |
人影のない土砂に埋もれた町・生き残った鶏の鳴き声だけが響く |
政府の援助は期待できないと被災者たちは道路へ出て募金を募る |
村ぐるみで交替で通行人に募金を呼びかける |
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親族の安否確認やボランティアが被災地に向かうため、パリアマンに通じる道は大渋滞 |
地震発生から2週間・いまだパダン被災地に電気は戻っていない(石油ランプ生活が続いている) 政府の対応が遅く、被災者に配られているのはカップラーメンと見舞い金(一人一日あたり2万ルピア(約200円)の生活費) |
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写真(被災地に見る非日常と日常)を続けて見る |
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スマトラ島 スマトラ島はインドネシアの西端に位置し、マラッカ海峡を隔ててマレーシア、シンガポールに隣接する島。南北2000Kmで、そのほぼ中央を赤道が貫き総面積は約47万4000平方q(日本の約1.25倍)もある巨大な島である。島全体の人口は4600万人を超え、インドネシア全体の約20%を占める。ヒマラヤ造山帯に連なる山系属し活火山を含む多数の火山が存在する。そのため平野面積は少なく、海岸から断崖がそびえ2000〜3000m級の山が連なり、その間に盆地や高原地帯がある。主要民族は東部と南部に住むマライ人、西スマトラのミナンカバウ人、北部のアチェ人、トパ湖周辺に住むパタッ人で、それぞれが文化や習慣が異なる。現在はイスラム教徒が大部分だが、元来は各民族ごとにアニミズム信仰や一部仏教などの信仰を持っていた。13世紀にインド南部からイスラム教がパンダアチェに伝えられるとインドネシア各地に広まっていった。このため、アチェはインドネシア・イスラム原理主義者の聖地とされている。 スマトラ島の西方沖に沿ってスンダ海溝が南北に長く伸びている。スンダ海溝は、インドオーストラリアプレートがユーラシアプレートの下に沈み込む活動的プレート境界であり、斜め収束に伴う大きな右横ずれ成分を持つ境界で繰り返し巨大地震が発生している。 ・2004年12月26日・Ms9.0 ・2005年3月28日・Ms8.6 ・2007年9月12日・Ms8.2 ・2009年9月30日・Ms7.6 日本の東海、東南海、南海地震を起こす南海トラフように、スンダ海溝沿いに展開するいくつかのブロックがそれぞれ相関性を持ちつつ繰り返し巨大地震を発生させている。 |
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