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南三陸町・「屋上の円陣」防災対策庁舎からの無言の教訓 | ||
上の画像は宮城県南三陸町 志津川湾の朝(2017年3月/撮影:山村) 下の画像は震災直後の防災対策庁舎(2011年3月/撮影:山村) |
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2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生。被害想定では最大6.7メートルの津波とされていたが、海抜12メートルの南三陸町防災対策庁舎の屋上を超える15.5メートルの大津波が押し寄せた。直前まで防災庁舎2階の放送室で遠藤未希さんと三浦毅課長補佐が必死で避難を呼びかけていた。津波襲来の報に2人を含む佐藤町長以下54人はこの屋上に避難したが大津波によって多くが流された。助かったのはたった11人だけだった。 | ||
大津波が襲う直前、足をすくわれ倒れながらもシャッターを押し続けた町の広報担当者が撮ったといわれる写真をネットで見た(表紙の写真)。そこに円陣を組む人たちが写っている。中には筆者が震災前にお会いしていたと思われる人もいた。(以下、防災庁舎にいた人たちやご遺族などへのインタビューから筆者類推) もうこれ以上逃げ場はない。しかし、人々は泣き叫ぶでもなく、取り乱すでもなく、緊張と不安を浮かべながらも・・静かに、だが決然と円陣を組み、さらなる大津波に備えようとしている。被害想定では最大津波高は6.7メートルだったはずだ。それなのに12メートルの3階屋上まで冷たい濁流が覆っている。屋上にいた職員たちは皆、直前まで住民の避難誘導に努めてきた人たちである。ここまで波が来ているのであれば、よほどの高台でなければ津波にのまれてしまう。わが子は?妻は?夫は?親兄弟は?次の大波の予感に背筋を凍らせながら、ぎりぎりまで近しい人たちの身を案じていたに違いない。 きっと守り抜く。強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、自らも生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間としての尊厳を失っていないように見える。「未来ある若者や住民を死なせてなるものか」「家族を残し死んでたまるか」励まし合い、かばいつつ、そして自分自身も懸命に生きようとしていた。その高潔な使命感、勇気と品格、彼らこそ真の勇者たちではなかろうか。 なぜこの人たちが犠牲にならなければならなかったのか、何かが間違っている。防災対策庁舎は不条理な東日本大震災のシンボルであり、家族を思いつつ最後まで戦い続けた勇者たちの戦場である。ただそれを美談で終わらせてはならない。彼らの思いを無にしてはならない。その無念を晴らせ!鉄骨だけの防災対策庁舎と円陣の写真が今も我々に強く訴えかけている。(本文、「第一章、勇者たち」から抜粋・引用) 第1章、勇者たち 第2章、「奇跡のイレブン」それぞれの3.11 第3章、敵は「被害想定」にあり 第4章、防災庁舎の「無言の教訓」 あとがき、防災庁舎を世界遺産に 2017年3月28日発売/山村武彦著(ぎょうせい) |
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これは、東日本大震災で奇跡的に生き残った11人の人たちとご遺族にインタビューしてまとめた、哀しくも美しいノンフィクションである。ご一読いただければ幸いです。 ★ご注文は全国書店または下記オンラインショップへ ○アマゾン ○ぎょうせいオンライン |
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