2007年ペルー地震・現地調査報告/山村武彦

 2007年8月15日午後6地41分(日本時間16日午前8時41分頃)、何ベーベル―で強い地震が発生。米地質調査所によると、地震の規模を示すマグニチュード(M)は8.0、震源は首都リマの南南東約145q。その後、M5「規模の余震が続いている。同国の消防当局は、これまでに死者数510人に上ったと発表。負傷者は1500人以上とみられる。また、1万6669世帯が家を失い、被災者数は約8万人に登とされている。現地では救助活動が続いているが一部の幹線道路が寸断されており、救助作業は難航している。
 また、被災地の刑務所が損壊し囚人571人が脱走し、その後約100人は逮捕又は自発的に戻ったが残りの囚人たちは今も逃走中。この地震により日本にも津波襲来が懸念され、気象庁は一時太平洋沿岸に津波注意報を発表し、浦河などで約20cmの津波が観測されたが被害はなかった。
 8月19日から25日まで被害の多かったピスコ市及びイカ市などの現地調査を行った。日本と同じようにペルーは地震多発国だが、貧しさゆえか救援物資の不足が目立つ。私が日本人と知ると「フジモリに帰ってきてほしい」と口々に訴えていた。日本政府は1億5千万円の緊急支援を発表したが、到底足りるとは思えない。多くの被災者はもらえる補償のない水と食料を求めて、政府の出先機関に一日中長い列に並んでいた。今は冬季。気温10℃とはいえ、体感気温は5℃以下に感じるほど朝夕冷え込む砂漠特有の寒さ。被災者から被災者がなけなしの物資を盗む悲劇が多く見られ、治安と秩序を取り戻すためには迅速な国際支援が急務である。
山村武彦


現地調査にはパトカー(左)と拳銃を持った屈強な警官(右)が同行警備にあたってくれた
 
激しい揺れが3分続き、日干しレンガのアドべ(左・イカ市)や太いアシで葺いたキンチャ造り(右・ピスコ)の古い家が壊れた
 
雨の降らない砂漠地帯にある被災地は瓦礫からの土ぼこりにまみれていた(ピスコ市内・約30円のモートタクシー)

機関銃を持った軍隊が出動し警戒に当たっているため、治安は安定しているという(ピスコ市内)

寒風の中路上で暮らす人たちは4万人以上(ピスコ市)

6畳ほどのこのテント内で3家族(14人)が暮らし、交替で寝ているそうだ。毛布、食料、トイレが不足していると訴える(イカ市)被災者は約8万人
 
礼拝堂が崩壊し死者7人、重軽傷者67人・イグレシア・セニョール・ルーレン教会(イカ市)
 
病院が壊れたため、出張医療も医薬品がまったくし、不足破傷風や感染症蔓延が懸念されている(イカ市)

資機材、技術者などが不足し電気水道などインフラ復旧には数ヶ月かかると見られている(ピスコ市)

テントもない被災者たちが水食料を求めて早朝から長蛇の列つくる避難場所(8月23日・ピスコ市内)

今回の現地調査にあたって、安全確保と目的達成のためにイマヒナ&エスパシオのジャン・バルバラン・裕子バルバランさんご夫妻に大変お世話になりました。
末筆ながら心より御礼申し上げます(ペルーの日本語ガイドや旅行のことでしたらここがお勧めです)