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兵庫県佐用町水害/2週間後の現地写真リポート(写真・文:山村武彦

犠牲者のご冥福をお祈りし、被災者に心よりお見舞い申し上げます


2009年8月9日・JR佐用(さよ)駅も、筆者が示す線まで浸水


佐用川支流の幕山川沿いにある町営幕山団地(住宅)住人などは夜8時前、自主避難を決断する
幕山川に架かる橋を越え、左の道路を手前側にある町立幕山小学校(避難場所)に向かって、暗闇の中家族は手をつなぐなどして避難(黄線)した
幕山川からあふれた濁流は農業用水路に流れ、水路(土管)に飲み込めない濁流は上の道路にあふれ、猛烈な勢いで流れていた

普段はわずかな水量しかない農業水路、写真上部に見える青い屋根の避難場所(幕山小学校)まで、約80mほどの場所(×)で悲劇は起きた

避難しようとした人たちは幅2mに満たない農業用水路上の濁流で、向こう側(用水路下流)へ少なくとも6人が流されて死亡

行方不明者の捜索/佐用川を監視し続ける警察官たち


手前の基礎の上にあった家が流され、残骸は橋に絡まって止まった

堤防を乗り越えて、左側の家々に濁流が流れ込んだ(佐用町・久崎)


1階の天井まで浸水


一段高くなった玄関にも、さらに1.5mまで浸水


幼稚園も濁流が襲った


橋の上を倒木・濁流が洗い、欄干はなぎ倒された



JR姫神線はいまだ復旧の見込みは立っていない


駐車場の車はすべて水没

ボンネット内も泥だらけ


下水配管の清掃
地元消防団もフル活動(お盆の墓参りもできなかっ人も多い)
全国からボランティがやってきた






水害後できたゴミの山

佐用町立幕山小学校で配布されていた救援物資

悲劇が悲劇を生む
 2009年8月9日、兵庫県佐用町(人口20,440人)は24時間雨量326.5ミリの観測史上最大の雨量を記録。佐用川の水位は8.40mに上昇、勢いを増した濁流が護岸内側をえぐり、平成16年に損壊した同じ箇所が損壊した。この集中豪雨で佐用町だけで死者行方不明20名、全半壊8棟、床上浸水774棟、床下浸水579棟、落橋14箇所などの大惨事に発展した。5年前(平成16年)の台風21号のときも佐用川堤防が各所で損壊した。
 兵庫県は復旧工事として川底に堆積した土砂を取り除き、損壊地点における当時の最大水位(6.75m)に合わせ護岸を約1mかさ上げした。さらに平成17年度末に佐用川下流の千種川川幅拡幅などの改修工事の基本方針を決定、今年3月に国から承認され今年度から工事に着手したばかりだった。
 その佐用川は、今回の水害で円光寺地区左岸250m、久崎地区でも70mにわたって護岸が損壊した。 自宅前を流れる佐用川の氾濫で過去30年間に4回も床上浸水を経験してきた主婦(57)は、「5年前の台風では60pの床上浸水だったけど、今回は130pの床上浸水だった。5年前の水害後に復旧工事で新しくなった堤防はまったく役に立たなかった。行政は過去のデータや慣習にとらわれないで、先を見て早く対策をしてほしい」と語った。
 5年前の水害で家を流された佐用川沿いに住む80代の女性は、数年前にようやく自宅を建て直した。しかし、今回の水害でまた堤防を乗り越えてきた濁流に襲われ大きな被害を受けた。女性は水害の数日後、堤防脇の木で首つり自殺しているのが発見された。痛ましい限りである。
避難勧告が出た時は、もう流されていた(?)
 佐用川の水位計は佐用町役場地区にあり、9日午後7時58分に3mに達した。水位変化は町役場に設置されている端末で見ることができるようになっていて、3mに達した際は端末から自動的に警報音が発せられる仕組みになっていた。兵庫県は午後8時35分、町に電話で水位が上がっていることを連絡。同40分には川から水があふれる可能性が高い「はんらん危険水位」3.8mに達したが、町が避難勧告を出したのは午後9時20分であった
。町が定めていた避難勧告基準に達してから避難勧告が出されるまで1時間20分かかったことになる。
 佐用川水系及び周辺中小河川で一番水位が高かったのは住民などの話を総合すると8時〜9時30分頃と推定される。町が危険水位に至る前に確知して8時に避難勧告又は避難指示を出したとしてもすでに避難できる状態ではなく、その時点ですでに流されていた人も多い。といって、避難勧告・避難指示の遅れを「夜間の避難は危険だから避難情報を出さなかった」という行政側の強弁は責任逃れのそしりを免れない。すでに24時間雨量の推定と大雨洪水警報が出されていたのだから、危険水位になってからではなく、暗くならない早い段階で地域危険度に応じ避難準備情報、避難勧告、避難指示を出すべきだったことを猛省すべきである。ただ、すべての防災情報必ず迅速適切に周知できるほど行政は万能ではない。自分や家族の命を守るのは自分達、向こう三軒両隣で防災隣組を組織し、情報を集め、地域の危険度を地域で判断できるようにする。そして、いざというときは行政の防災情報や気象情報を参考にしつつ、自分たちで避難のタイミングを計り声かけ合って早期自主避難する「近助の精神」の考え方も大切である。
 一部地域では避難勧告は出ていなかったが、町内会などで「危険な地域は自主避難」を呼び掛けた地域もあったようだ。幕山地区では避難勧告が出る1時間半前に自主避難の途上、濁流に流され犠牲になったひともいる。逆に避難しなかったから助かった例と、避難しなかったために自宅で犠牲になった80代女性のケースもある。それぞれの状況によって明暗・生死を分けたことになる。一律の避難情報基準、伝達方法(豪雨で聞こえなかった人も多い)などの難しさと矛盾が露呈した災害であった。
 2004年(平成16年)に発生した新潟豪雨などで多くの犠牲を出し、避難勧告の遅れが指摘された。翌年、その教訓を生かすべく避難に時間のかかる災害時要援護者などを早めに避難させる「避難準備情報」が加えられ、市区町村が避難情報を出す基準となるガイドラインを国が示した。その後、各市区町村で地域特性などを勘案し河川や地域ごとに自前の避難勧告基準を策定してきた。しかし、このように市区町村が発する避難情報がそれにより適切化したとはとても言い難い。過去の災害データや硬直した数値に基づき策定された発令基準で、過去にない降水量や集中豪雨が頻発する異常気象時代の試練に対応することはできない。また、それほど行政はオールマイティでもない。河川の防災対策や早期自主避難は大事だが、定められた避難所より平屋住まいであれば隣近所の2階以上に避難させてもらえるようにするなど、地域特性に合った地域ごとの互助体制確立こそ喫緊の課題ではないだろうか。
避難勧告が出されても・・
 被害が集中した佐用町の作用駅前と久崎、本郷地区を神戸新聞社が聞き取り調査をした結果、町が全町内に一斉避難勧告を発したにもかかわらず115世帯のうち84%は避難していなかった。ほとんどの人たちは自宅の2階などにいたとのこと。アンケートによると、避難しなかった40%は「避難しようとしたが外へ出られる状態ではなかった」、32%が「自宅の方が安全と判断した」と回答している。
 佐用町は全戸に防災無線の受信機が設置されているが、激しい雨音や浸水または故障によって53%に避難勧告が伝わっていなかった。そのため、限られた情報を基に各戸で個々に緊急行動の判断が迫られていたのである。調査結果では、各地域とも避難所の場所についての認知度は高く86%が自分の地域における避難所を知っていたと回答。だが、当日避難したのは11%に過ぎず、知人宅などへ避難した人を含めても計17%にとどまっている。久崎地区では、5年前の水害を教訓にして「何があっても外に出ないように家族で申し合わせていた」という回答もあった。また、消防団や自治会役員としての活動で自らの避難は後廻しになっていた人も5%いた。回答者のうち65歳以上の高齢者は46%で「足腰が弱いから避難できない」「耳が遠いので放送が聞き取れない」などの声もあり、高齢化社会の災害対策の難しさが浮き彫りになった。
被災者の食中毒・熱中症
 水害発生4日目の8月13日、佐用町平福地区で10〜82歳の男女が食中毒とみられる症状を訴え、病院に搬送された。聞き取り調査の結果、町外からきたボランティアが握り飯を町などを通さず直接自治会役員に持ち込み、自治会役員がそれを住民に配布したもの。その握り飯は前日に個人宅で作られたものとの情報もある。町は夏場でもあり、同様のことが起こる可能性がある」として、町内放送を流し避難場所に注意喚起のチラシを配布した。
 また、佐用町消防本部によると、被災した9日以降熱中症とみられる人の救急搬送が14日までに6件あったという。炎天下での家の片づけ作業中に気分が悪くなる人もいて、消防本部では「帽子を着用し、濡れタオルを首に巻き、体調に合わせて休憩をとり、こまめな水分補給」を呼びかけた。