インド西部大地震
地震発生/2001年1月26日午前8時46分・震源地/インド西部グラジャート州
地震の規模/政府発表M7.9(関東大震災(死者14万人)と同規模)
地震が発生した1月26日 は、Republic Day 共和国記念日で、インドで最も重要な国家の祝日 共和国憲法発布を記念したお祭りでした。デリーの大通りラジパットでは、インド陸軍のパレードや、各州ごとに趣向を凝らした山車が出ます。ラクダのキャラバンや奇麗に飾りつけられた象のパレードなど、沿道に陣取るにも整理券が必要なほど世界各国から数十万の観光客が集まります。 また、デリーや全国の州都等で、民族舞踊の大会やパレードがあり、グジャラート州各地域でも、朝早くからパレードが行われている最中に地震が襲いました。中にはパレードに行く子供たちが通りを行進中に地震に遭遇し倒壊したビルの下敷きになったものもいました。インド概要
2001年4月19日更新

死者20,005人、重傷者20,717人全半壊建物約92万戸インド西部地震災害写真
インド西部地震で3月16日現在、20,005人の死亡が確認され、重傷者20,717人、全壊家屋は228,906戸、一部損壊家屋は697,615戸、家畜被害は12,250頭と発表されている。[ニューデリー 5日 ロイター] 国連児童基金(ユニセフ)は1月26日にインドで発生したマグニチュード7.7の大地震で、14歳以下の子供300万人以上が被災したことを明らかにした。 子供たちの多くは崩壊した建物の下敷きとなり負傷した。また、数千人が精神的な後遺症により、無感情な状態に陥ったり、他の子供たちと遊ばなくなったりしているという。
 学校と家を失った子供たちは250万人に達している。 最も被害が深刻だったグジャラート州では、州の小学校の半分にあたる1万5000校が被災した。ユニセフは学校再開が最優先課題の1つであるとしている。
1993年9月にも隣接するマハラシュトラ州地震が発生し約30000人の犠牲者を出したが、その教訓はほとんど生かされていない。インド政府農業省(災害担当省)は、都市別死傷者数などの情報を発表している。

被災者への無料食料配給打ち切り
先月26日の大地震で大きな被害を受けたインド・グジャラート州(人口約4,100万人)では6日、被災者に、これまで無料配給だった食糧を、今後は住宅建設などの復興作業への参加と引き換えに提供する方針を明らかにした。州当局や現地入りしている民間援助機関は、家を失った被災民が地元を離れて他州に大量に流入することを懸念しており、復興作業と人々の精神的な自立を促す目的があるとみられる。州政府当局者は、「今は精神的なショックがあまりに大きいので、人々は生気を失っている」としながらも、「無料の食料配給はあと一回で打ち切る」と述べた。
計画では中央政府がグジャラート州に10万トンの穀物を供給し、州政府は地元市場の通常価格の4分の1の値段で、復興作業の参加者へ売るというもの。有料とはいうものの、実際には労働することで、配給の穀物を手にすることができる。

自衛隊輸送の緊急援助物資プジ市に贈呈
【ブジ(インド・グジャラート州)2月7日共同】インド西部大地震で、日本の国際緊急援助隊として深刻な被害を受けたグジャラート州ブジ市に派遣された自衛隊が輸送した援助物資が七日、州政府の同市事務所当局に引き渡された。
援助物資は、家を失い野外での寝泊まりを強いられている被災民が最も必要としているテント約四百五十張りと毛布約四千五百枚。同日午後、州政府庁舎の中庭で行われた引き渡し式で、平林博駐インド大使が目録を手渡した。平林大使が「日本政府と国民はインドの人々に深く同情している。テントや毛布は貧しい人にもぜひ分けてあげてほしい」と話すと、ムキ行政長官は「一番必要な物をいただいた」と感謝の意を表した。
国際緊急援助隊の自衛隊員は同日、ブジ市をたち、日本へ帰国する。自衛隊の国際緊急援助隊の派遣は1998年11月のホンジュラスのハリケーン被害、99年9月のトルコの大地震に続き3回目。日本政府の緊急援助 国際赤十字社の活動

神戸港から緊急援助物資を積んだ船が出港
インド西部地震の被災者を支援しようと、神戸の企業から、支援団体「アジアアフリカ環境協力センター」に救援物資が集まり、2月14日、神戸港で、コンテナへの積み込み作業が行われる。第一便は二十一日、インド・カンドラ港へ向けて出港する。
発生直後から、大阪のインド総領事館などに「救援物資を送りたい」と問い合わせがあり、連絡を受けた同センターが窓口となって船便を手配した。製鉄や製薬会社、ホテルなど五社から、衣料千着、毛布三千枚、粉ミルク約三百缶などが集まった。積み込み作業は、十四日午後一時半から総領事館員が立ち会いのもとで行われる。三月十六日にインドへ到着予定。

神戸市中央区のホテルオークラ神戸は、阪神・淡路大震災で国内外から受けた支援にこたえようと、客室用の毛布二百五十枚を提供した。十三日、従業員約十人が箱詰め作業に追われた。また、今月はじめから従業員に募金を呼びかけており、近く義援金として同センターに託す。同センターは、引き続き企業や市民の支援を呼びかけている。「コンテナ一本分の物資が集まり次第、早急に第二便を送りたい」としている。同センターTEL078・392・3986

夜間は5℃となるグジャラート州は、厳格な菜食主義者が多数を占める
グジャラート州は、この時期昼間はシャツ一枚で過ごせるが、夜間になると5℃ほどに冷え込み、家を失った人々は身体を寄せ合って寒さをしのいでいる。この地区は宗教上の厳格な菜食主義者が多く、肉も卵も食べない、さらには根菜類(玉ねぎ、にんにく)も食べない人もいて、配給になる缶詰なども中身を厳選しないと、インドネシアの味の素騒ぎのような問題が起こる。ビスケットなども卵の使っているものは食べられない。各国から届く非常食料もそうした配慮が必要となっている。
 


助け出された子供

この家族は二人の子供を失った(CNN)


趣旨にご賛同いただいた下記の方々から、多くの義捐金をお寄せいただきました
皆様の暖かい気持ちをグジャラード州被災児童支援組織に送りました
心からの感謝と敬意を込めてお礼申し上げます、ありがとうございました。


食料を求めてトラックを追いかける人々(CNN)

倒壊した建物に集まる人(CNN)
神様助けてくださいと祈り続けた少女を、6日ぶりに救出(トルコの救助隊)
インド・ブージ―― インド西部を襲った大地震から6日目の31日夜、最も多くの犠牲者を出したグジャラート州のブージで、倒壊した建物の下から13歳の少女が救出された。救出されたのはプリヤンカ・ターカーちゃん。トルコの救助隊が、プリヤンカちゃんの声を聞きつけ、がれきの中から引っ張り挙げた。プリヤンカちゃんはほとんど無傷の状態で「ずっと『お母さん、お父さん』と叫び続けていました。それから神様に助けてくださいとお願いしていた」としっかりした口調で語ったという。(CNN)トルコの救助隊は99年に自国で発生したトルコ大地震で、世界各国から救援隊に助けられたことのお返しにと、災害発生直後から救助隊を派遣し救出活動にあたっていた。
新婚夫婦も救出(ロシアの救助隊)
 
またこれより前に、ロシアの救助隊が、ブージから約60キロ南に離れた村で、新婚夫婦を救出し、病院に運んだ。夫婦は6日間励ましあいながら救助を待ち続けたという。さらに、同州アーメダバードでも、倒壊した4階建てアパートのがれきの下から55歳の女性が救出された。 隣には19歳の息子が遺体となって横たわっていたという。 こうした救出劇は、地元に希望を与えている。また、欧米各国の救助隊も、現地への派遣要員を増加しできるだけ多くの人を救おうと懸命の作業を続けている。(CNN)

10日ぶりに兄妹を救出
ンド・グジャラート州のブージで5日、がれきに閉じ込められていた中年の兄妹が救出された。しかし、地震発生から10日が過ぎ、がれきの下に生存者がいる可能性はますます少なくなっている。救出された2人は、3階建ての建物の1階に住んでいた。地震で、建物はつぶれ、がれきに閉じ込められたという。しかし、幸い2人ともけががなかったうえ、飲み食いできる環境にあったという。がれきの整理をしていた国境警備隊のメンバーが、助けを求めるかすかな声を聞き、ハンマーや素手でがれきを掘り進め、3時間がかりで救出した。メンバーの一人は、「慎重さを求められる作業だった。ブルドーザーを使っていたら、2人とも助からなかっただろう」と話した。 2人とも病院に運ばれたが、元気だという。がれきの下の生存者は4日、同州バチャウ近郊の村で17歳の若者が無傷で井戸の中から救出されて以来。ただ、さらなる生存者はもうあまり期待できないとみられている。(CNN)
物乞いになるより、死んだ方がまし…
地震でおよそ50万人が家を失ったとみられ、仮設のテントの設置が急務になっている。州当局は、テントで、市場、診療所、学校などの仮設の「町」を作る計画。最低15万個のテントが必要だとして、世界に援助を呼び掛けている。しかし、被災者の中には、たとえ崩れかかるなどして危険でも自分の家の方がまし、とテント暮らしを敬遠する人も多い。危険なビルの1階で雑貨屋を再開していた男性は、「死ぬときは死ぬときだ。神が決めること。私の家は中流階級だったが、今はすべてを失った。道で物請いをするよりは、死んだ方がましだ」と答えた。(CNN)

トップに戻る

〒106-0032 東京都港区六本木7-17-12
Tel:03-5771-6338・Fax:03-5771-6339・メール
写真等無断転用・複写禁止