|稲むらの火|阪神・淡路大震災|中国四川省地震|中越沖地震|防災講演|防災アドバイザー山村武彦|近助の精神|
|
||||||
自主防災組織(その使命と活動) | ||||||
|
||||||
安全・あんしん街づくり/自助・近助・共助・公助 | ||||||
|
||||||
|
自主防災組織とは? | |
法的根拠? 自主防災組織について「災害対策基本法」総則第5条(市町村の責務)で「市町村長は、前項の責務を遂行するため、消防機関、水防団等の組織の整備並びに当該市町村の区域内の公共的団体等の防災に関する組織及び住民の隣保協同の精神に基づく自発的な防災組織(第8条第2項において「自主防災組織」という。)の充実を図り、市町村の有するすべての機能を十分に発揮するように努めなければならない」と定められている。8条では国、地方公共団体に「自主防災組織の育成、ボランティアによる防災活動の環境の整備その他国民の自発的な防災活動の促進に関する事項」を求めている。(災害対策基本法で、市町村の有るすべての機能を十分に発揮するために充実を図るようにいっているが、市町村のために自主防災組織が必要だと受け止められかねない。こうした国の考えは少しおかしい。そもそも自主防災組織は住民が住民のためにつくり、活動する防災組織であって、はじめから市町村のための補完組織にしてはいけないのだ) 防災基本計画では 災害対策基本法に基づき、中央防災会議・防災基本計画専門委員会が作成した「防災基本計画」には次のように明示されている。 防災基本計画第1編・総則第2章「防災の基本方針」で「国民の防災活動を促進するための住民への防災思想・防災知識の普及,防災訓練の実施,並びに自主防災組織等の育成強化,ボランティア活動の環境整備,企業防災の促進等」と、国,公共機関,地方公共団体,事業者,住民に求め、第2編の震災対策編「国民の防災活動の環境整備」で、「地方公共団体は,自主防災組織の育成,強化を図るものとする。このため,組織の核となるリーダーに対して研修を実施するなどにより,これらの組織の日常化,訓練の実施を促すものとする」となっている。それを受けて、各地方公共団体(都道府県・市町村)の防災条例や地域防災計画に、自主防災組織が規定されている。 本来自発的な防災組織なのに・・・ 「災害対策基本法」「防災基本計画」にあるように、自主防災組織の育成、充実、環境整備、リーダー研修などを市町村長に求めてはいるが、自主防災組織とは本来自発的な防災組織である。しかし、実際には自発的な防災組織が生まれてこないため、各市町村の防災担当者が主に自治会や町内会に呼びかけ、自主防災の組織化を推進しているのが実情である。その結果、一部を除き、自主防災組織の独自性、自主性が育たず、行政主導の組織となってしまっている。自主防災組織の名簿づくりなどは、町内会に一任するため、町内会役員を除き、一般住民は自分が何の役目かすら認識していない。これでは、自らの町を自らが守るという、高邁な使命感や自然な愛郷心の発露を阻害しているとしか思えない。 全国の組織率は年々上がってはいるが、実際は魂の抜けた形だけの組織が大半である。原因は、住民への防災思想・防災知識の普及をきめ細かく行わないうちに、組織することに意義があるように錯覚し、行政間で組織率を競い、組織化推進だけを急いだことによるものと思われる。行政も住民も今一度、自主防災組織とは何かを問い直し、真の自主防災組織のあり方、使命を再啓発し、大規模災害が発生したとき、実践的な役割が果たせるよう自主防災組織に魂を入れ「災害に強いまちづくり」を実現しなければならない。 |
|
|
|
自主防災組織の使命 | |
自主防災組織の位置づけは、「私」と「公」の隙間を埋めるコミュニティづくり「共」の原点であり、「協働でいい町づくり」(コラボレーション)の中心となるべき組織である。決して「公」(行政)のやるべき仕事の補完機関ではなく、行政でできないやれない部分、「私」(家庭)だけではできない、地域の安全にかかわる部分をカバーする組織である。 安全・防災は、あらゆる宗教、イデオロギーを超え、コミュニティの核となり、求心力となり得る共通理念である。 |
|
私共公 | |
自主防災組織のあるべき姿は、誰かに強制されて加入する組織ではなく、自分の意志で自発的に参加でき、自由意志で退会できる組織であるべきである。とはいっても、組織である以上、一定のルールを定め、ルールに従う人たちが集まらないと機能しないのも事実である。そして、リーダーになる人は年功序列や単なる町の有力者だけでなく、情熱を持って活動に取り組むことができ、危機に臨んで行動力と決断力を持った人が望ましい。 | |
|
|
阪神・淡路大震災の教訓@(誰が生き埋めの人を助けたか) | |
平成7年(1995年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災(死者6,433人、負傷者43,792人、全半壊建物274,181棟)での教訓を生かすのが自主防災組織である。 午前5時46分、寝静まった町を突然烈しい揺れが襲った。古い家の多くが一瞬にして倒壊し、約15万人が生き埋めになった。そのうち約115,000人は自力で脱出したが、約35,000人もの人が倒壊家屋に閉じ込められた。その人たちを誰が救助したかを下図に示す。 |
|
上図のように、自力脱出困難者のうち、実に77%を近隣住民が救助したのである。自衛隊、警察、消防なども活躍したが、それらは全体の19%に過ぎない。逆に言えば早く救助したから助かったとも言える。大災害が発生した場合、いかに近隣住民の力が大切かを物語っている。自主防災はこうした阪神・淡路大震災の教訓を生かして、自分の町と隣人を自分たちで守るための組織でもある。 | |
|
|
阪神・淡路大震災の教訓A(発災直後、誰が町を守るのか)防災訓練のあり方 | |
阪神大震災発生2時間後に現地で見たのは、見渡す限り家が押しつぶされ、途方にくれる人々であった。 | |
倒壊した家の下敷きになった人を助けようとしている人も大勢いたが、中には一人で救助にあたっている人もいた。「ほかの人はどうしたのですか」と聞くと、「きっと避難場所に避難したのだと思います」と答えが返ってきた。私はその時、『これは今までの防災訓練が間違っていた』と思った。毎年行われる防災訓練は避難場所に逃げる避難訓練でしかなかった。同じような訓練を続けているうち、地震イコール避難という間違った常識が定着してしまったのである。大災害で消防も警察もすぐには凝られないのに、みんなが避難してしまったら誰が火を消すのか、誰が生き埋めの人を助けるのか。もちろん、津波やがけ崩れのおそれなど二次災害の危険の有る場所に居たら直ちに避難すべきである。しかし、身の安全が確保できたら、逃げないで踏みとどまって災害と戦わなければならないのだ。防災訓練は広域避難場所に逃げる訓練でなく、地域に踏みとどまって戦う訓練をこそすべきである。それでこそ、自主防災なのである。 | |
|
|
足立区に見る自主防災 | |
東京都足立区の自主防災が防災訓練をするときは、原則として役所は関与しない。自主防災組織で企画立案して自分たちだけで訓練を実施するのである。足立区は四方を川に囲まれていて、過去何度となく水害に襲われ、そのつど地域が孤立した。その教訓を生かし足立区には防災輪中計画がある。孤立するであろう地域ごとにブロックわけして、災害時にもブロックごとに生き残れる体制をつくったのである。それが輪中計画である。ブロックごとに600uの防災資機材倉庫を設置し、防災公園、防災広場を設けライフラインが止まっても地域ごとに生き残れるようにしたのである。そして、その中心となっているのが自主防災組織である。 | |
|
|
大切なのは住民の意識向上(ベクトルを合わせる事からはじめるべき) | |
自主防災に限らず、安全・安心街づくりに欠かせないのは、住民の防災マインドである。一部の人が懸命な努力をしても大半の住民が積極的に協力しない限り、自主防災は成功しない。そのためには実践的な防災研修会を実施することが先決である。まず意識を統一して具体的な防災活動を一つずつ実施することである。 | |
|
|
災害弱者対策より防災弱者対策 | |
災害が発生したとき、障害者、一人暮らしの高齢者、病人など災害弱者対策が重要といわれるが、私は災害弱者を出さないための防災弱者対策が重要と思っている。防災弱者とは、家の耐震補強をしたくてもできない人、家の中の家具や電化製品の固定をしたくても体力、資金などの関係で防災対策ができない人たちに手を貸すべきである。それが災害弱者をなくすための唯一の手段である。防災対策はすべて事前対策である。災害が起きてからの対策も大切だが、事前の防災弱者対策こそ優先すべきである。自主防災組織の使命と活動はそこにあると私は思う。 | |
|
|