2018年西日本豪雨(平成30年7月豪雨)
現地調査・写真レポート/文・写真:山村武彦
犠牲者のご冥福をお祈り申し上げ、被災者にお見舞い申し上げます
 
  気象庁は早くから土砂災害や大雨に備えるよう最大限の警告を発していた 
★11府県に特別警報!にもかかわらず死者220人
 この豪雨災害の特徴は、記録的大雨が広範囲に長時間降り続け、広範地域に大規模災害を同時多発的に発生させたことである。2018年7月5日午後、気象庁は「西日本を中心に記録的な大雨になるおそれがある」と異例の記者会見を行い、土砂災害や河川の氾濫に厳重に警戒するよう呼び掛けた。翌日6日午後7時40分には、広島、岡山、鳥取の3県に50年に一度の記録的大雨が予想されると「大雨特別警報」が発表された。そして、6日深夜から7日未明には各地で冠水、土砂災害が相次いだ。その後、過去にない11府県もの地域に特別警報が発表された。しかし、それでも逃げなかった人、逃げられなかった人達が多数いた。各地に大雨警報が発表され、命の危険が切迫した災害として特別警報が出されたにもかかわらず220人もの犠牲者を出してしまったのはなぜか?現地を回り教訓と課題を追った。
★特別警報は本当に必要なのか
 11府県に大雨特別警報や土砂災害特別警報が発表されたが、広島県や愛媛県では特別警報が出される前に土砂災害や洪水に襲われたいたケースも多かった。避難が遅れ孤立し救助された真備町の住民は「大雨警報は知っていたが、特別警報が出るまでは大丈夫だと思っていた」と言っていた。2013年8月から運用が開始された特別警報だが、大雨特別警報の発表基準のひとつは「数十年に一度の大雨が予想される場合で、重大な土砂災害や浸水害が発生するおそれが著しく大きい状況が予想される場合」に発表される。
 一方大雨警報は「重大な土砂災害や浸水害が発生するおそれがあると予想したとき」に発表される。大雨警報発表時点で重大な災害発生のおそれがあるのだとしたら、その時点で危険区域は避難を開始すべきである。しかし、上位の「特別警報」ができれば、下位となる「警報」の危険度が一ランク低くなったと思うのは一般的感覚であろう。結果として特別警報が出るまでは大丈夫という誤った認識を一概に責めることはできない。住民に気象庁の危機感切迫感を伝えるために特別警報はできたのだが、今となると屋上屋を重ねてしまった感がある。そればかりか台風や大雨の前後には大雨警報や特別警報だけでなく「大雨注意報」「記録的短時間大雨情報」「洪水警報」「土砂災害警戒情報」「竜巻注意報」「雷注意報」など多岐にわたる。それぞれが意味のある気象情報ではあるが、ニュースを読み上げるアナウンサーの言葉を聞いていると煩雑で心に入ってこない。そのうち「警報疲れ」「警報慣れ」して危機感が麻痺してしまう可能性もある。警報等をできるだけ単純化し、例えば警戒情報(イエロー情報)と危険情報(レッド情報)のように、誰でもが聞いただけで即理解でき、危機感や切迫感がすぐに伝わる言葉に換えるべきではないか。
★わかりにくい避難情報(行政用語
 大雨特別警報が発表され、地元自治体から「避難勧告」「避難指示」が発令されても避難しない人が多かった。6日午後8時ごろ全域に避難指示が出された広島市安佐北区では7日午前0時の時点で避難所に身を寄せたのは市が把握しているだけで874世帯1,992人と全体の5%に過ぎない。広島県呉市でも6日午後9時すぎに避難指示が出されたが指定避難所に避難した住民は7日午前0時時点で1,193人とごくわずかだった。もちろん、夜間の避難指示に対し危険と判断し垂直避難(屋内安全確保)を選択した人もいた。
 しかし、土砂災害が発生した地域の住民に話を聴いてみると、「避難指示は知っていたが、それほど切迫しているとは思わなかった」という人が多かった(20世帯中14世帯)。人は異常事態に直面しても、これは正常の範囲と認識してしまう「正常性バイアス」があるし、自分だけは大丈夫と期待する本能がある。だからこそ、勧告、指示など意味不明の行政用語ではその背中を押すことは難しい。緊急放流で多くの死傷者を出した愛媛県西予市にある野村ダムが放流時に流したアナウンスは「防災操作に移行する予定、厳重に警戒してください」だった。マニュアル通りだったのだろうが、これで切迫感が伝わるとは思えない。災害後「緊急放流します、命を守る行動を取ってください」に変えている。。
★住民(避難行動)の背中を押す言葉
 緊急避難を促す「避難指示(緊急)」や避難開始を意味する「避難勧告」、そして避難に時間のかかる人の避難開始を促す「避難準備情報」のような行政用語は抽象的であり切迫性が住民の心に響かない。それは災害のたびに証明されている。もっと直截的な「避難命令」や「すぐ逃げろ情報」「命の危険情報」「レッド情報」「イエロー情報」などなど、高齢者や子供にもわかりやすい用語に改正すべきである。また、数十万都市全域への避難勧告などはいかがなものか、全員が避難できる指定避難所もないにもかかわらず全域発令では自治体の真剣度が疑われる。責任逃れのためのアリバイ作りにしか見えない。きちんと危険地域を絞って発令すべきである。加えて、状況によって地域ごとに「立ち退き避難」が必要なのか、「屋内安全確保」を選択すべきかの具体的行動情報も重要。災害対策基本法では本当に危険が迫っているのであれば「警戒区域」を定めて避難指示(立ち退き)を発令することができる。その場合、特段の理由なく警戒区域にとどまることはできず、違反すれば罰則もある。本当に避難させたければ警戒区域を定めて避難指示を出すべきではないか。
 そして、どれほど情報が正確であっても、住民がそれをきちんと受け止め、迅速な安全行動に結び付けられることが極めて重要。そもそも住民が陥る「自分だけは大丈夫」という根拠なき楽観が問題。人は、自分だけは大丈夫と期待する本能もある。それを払しょくするためにも、堤防や砂防堰堤を高くするハード対策だけでなく、繰り返し知識と意識を研修し、危機に敏感な「心の堤防」を高くする努力こそ行政と住民に欠かせない。ひとり一人の「心の堤防を高くすること」にもっとコストとエネルギーを傾注すべきではなかろうか。
★逃げたくても逃げられない人(避難行動要支援者)対策を急げ
 2011年の東日本大震災では犠牲者の60%は65歳以上の高齢者で、激甚被災地域内の死亡率と比較して障害者の死亡率は2倍に達した。こうした状況を踏まえて2013年の災害対策基本法改定時に、高齢者や障害者などの自力避難が困難な人を「避難行動要支援者」と規定した。そして「避難行動要支援者名簿」作成を自治体に義務付けた。岡山県倉敷市真備町の犠牲者51人のうち、避難行動要支援者名簿に登載されていた人が約8割に上る。避難勧告や避難指示が出た時、逃げたくても自力で逃げられない人が犠牲になっている。
 2013年の災害対策基本法改正後に内閣府は「避難行動要支援者名簿活用ガイドライン」を出している。そこには要支援者を特定(名簿に登載)したら、民生委員、自治会、消防団などと連携し要支援者の避難を助ける「支援者」や支援方法を定める「個別計画」を策定することとなっていた。しかし、倉敷市によると名簿は作ったが「個別計画」は作っていなかったという。自治体職員の人員削減が進み、そこまで手が回らなかったのが実情だと思うが、国がどんなにいい法令を作っても、それが実行されるためのフォーロアップがなければ絵に描いた餅でしかない。民生委員等の地域関係者も遠いところまで対応することは難しい。としたら、私が提唱する向こう三軒両隣の「防災隣組」を制度化すべきである。自治会や自主防災組織の中に、発災時における安否確認チームであり、防災隣組同士で要支援者の支援者になるルールを作るべきである。
★全体像が見えにくい大規模災害
 私は7月7日朝、テレビ局の要請で広島の現場に同行することになり羽田に直行した。しかし、広島空港の周辺道路が損壊または冠水による空港孤立で全便欠航。そこで急遽岡山空港経由で広島を目指す。そのころ岡山空港は大雨と濃霧に包まれているとのことで、着陸できないときは羽田に引き返す条件で離陸。それでも無事岡山空港に着陸。今思えば、そのころ倉敷市真備町では大洪水でまちが水没し、取り残された人が救助を求めていた時間帯だった。しかし、我々が倉敷市に差し掛かったころ、広島の土砂災害と洪水の情報だけで真備町の深刻な情報は入っていなかった。その時点ではまだこの災害の全体像が把握できていなかった。いまでも正確にはつかめていない。今回の豪雨災害はそれだけ広域・激甚大災害なのである。
 倉敷市からさらに広島を目指そうとするも、そのころには広島へ通じる道路は山陽自動車道をはじめ一般道もすべて通行止めとなっていた。「撤退する勇気も必要」とスタッフを説得し、無理せず引き返そうと決断したとき、山陽新幹線運転再開の一報が届く。そこで新倉敷駅で約1時間以上待って超満員の新幹線で広島に到着する。東京から広島まで通常は3時間半程度だが、この日は約12時間かかった。他局のスタッフは山口経由で24時間かかったというものも。そして、翌日(7月8日)から被害の多かった広島県安芸郡坂町、安佐北区口田南などを取材して回った。その後、帰京しマスコミ対応の合間の14日、15日に倉敷市真備町、21日、22日に愛媛県西予市、大洲市、宇和島市に入った。今後も他の被災地を回る予定である。


右上の山頂からの土石流(濁流、巨岩、流木、土砂)が左側の住宅を直撃、3人犠牲(広島市安佐北区口田南)
ここは土砂災害防止法に基づく「警戒区域」に指定されていた地域だった

広島市安佐北区口田南/土砂災害現場

広島市安佐北区口田南/土砂災害現場

★平成30年7月豪雨(西日本豪雨)
 2018年6月28日以降の台風第7号や梅雨前線の影響により、西日本を中心に全国的に広い範囲で発生した豪雨について気象庁は7月9日「平成30年7月豪雨」と命名。
★主な被害(2018年7月19日13:45現在/消防庁災害対策本部)
・人的被害
死者:217名(広島県106名、岡山県61名、愛媛県26名ほか)
行方不明者:12名(広島県8名、岡山県3名、奈良県1名)
・住宅被害(37,713棟)
全壊:2,847棟(岡山県2,529棟、広島県234棟、愛媛県29棟ほか)
半壊:548棟(広島県259棟、愛媛県165棟、岡山県26棟)
床上浸水:15,008棟(岡山県5,520棟、愛媛県4,395棟、広島県2,127棟ほか)
床下浸水:19,310棟(岡山県6,110棟、広島県3,325棟、福岡県2,085棟、愛媛県2,078棟ほか)
・避難所への避難者数199カ所、4,581名(岡山県2,808名、広島県1,166名、愛媛県467名ほか)

広島市安佐北区口田南/土砂災害現場

広島市安佐北区口田南/土砂災害現場

広島市安佐北区口田南/土砂災害現場

早くから気象庁は大雨予測を発表していた

広島市安佐北区の土砂災害で川がせき止められ広範囲に浸水



広島県坂町/原形を留めぬ車両


最近の水害の傾向/土砂災害→流木と土砂→中小河川の橋でせき止めダム→市街地広域浸水
(中小河川流域市街地の流木対策と浸水対策が急務)

広島県坂町/総頭川の車両の残骸

総頭川


広島県坂町/道路と川が同じ高さ








床下浸水でもエアコンの屋外機浸水/熱波の中エアコン使用できず
★在宅避難者の災害関連死を防げ
 最初は混乱したが、5日目くらいにはエアコン、段ボールベッド、間仕切りなども整備されて避難所の環境は極めて良好になっていた。7月17日現在で住宅被害は37,713棟、にもかかわらず避難所に避難している人は4,581人。住宅被害に比べて避難所への避難者数が極めて少ない。多くが床下浸水、床上浸水の家で暮らしている。現地で聞き取り調査をすると、避難しない理由は「オムツを使っている高齢者」「介護が必要な後期高齢者」「人工肛門などを装着したオストミー」「年寄なのでトイレが近いので皆さんに迷惑をかけるといけない」などの気遣いする人や一般避難所での集団生活に不安を持っている人等が多かった。さらに「ペットがいるから」「留守にすると泥棒に入られるといけない」「不便でも自宅の方がよく眠れるから」などの声が聞かれた。
 しかし、床下浸水でもエアコンの屋外機が水没し、35℃以上の熱波が続く中でエアコンが使用できない状態で暮らしている在宅避難者が多くいる。浸水家屋では災害廃棄物の片づけ、泥出し、水洗いなど連日過酷な作業に追われている。ボランティアが駆けつけてくれたことに感謝しつつ、その分自分も頑張ってしまう在宅避難者もいる。2016年の熊本地震では、犠牲者262人のうち地震による直接死は50人でしかなく、避難生活中に亡くなった方で災害関連死と認定された方が207人に上った。今懸念されるのは水害で生き残った人を災害関連死としないための目配り気配りケアである。平時であれば地域の社協や民生員などが見守りに巡回したりするのだが、社協は駆けつけてくれるボランティアの対応に追われ、民生員も自身が被災していて手が回らない状態が続いている。地元だけでなく各地からの自治体職員ボランティアの手を借りて、在宅避難者のカルテをつくり、健康管理支援が極めて重要である。 

★被災自動車の処理方法
 2000年東海豪雨水害時の被災自動車が約10万台、2011年東日本大震災時は約24万台ともいわれているが、今回の西日本豪雨災害ではまだ推計は出ていない。しかし、想像を超える膨大な被災車輛が水没し、一部は河川、道路、市街地の土砂に埋まっている。個人資産、民有地などの制限もあるので軽々に移動や処分ができない場合も多く、捜索活動や復旧活動の妨げになっている場合もある。こうした大規模災害時における被災自動車に関する緊急対応や取り扱いについて2016年4月、環境省から都道府県及び保健所設置市に対し「大規模災害により被災した自動車の処理について」の通達が出されている。
●被災自動車の処分には、原則として所有者の意思確認が必要。
●このため、こうした被災自動車は、所有者等による保管が可能な場合を除き、ひとまず自治体が集めて保管(移動・保管の際には所有者等の意思確認は不要。なお、他者の民有地に流されてきた被災車両については、当該民有地の所有者の理解が得られれば、支障のない範囲で一定期間その場での保管をお願いすることも想定される)
●被災自動車の運搬・保管に当たっては、安全確保の観点から、以下の点に注意を要する。
・廃油、廃液が漏出している等、生活環境保全上の支障が生ずるおそれのある自動車については、廃油・廃液の抜き取り等。
・電気自動車やハイブリッド自動車等、高電圧の蓄電池が搭載されている車両については、運搬に際しても、作業員に絶縁防具や保護具(マスク、保護メガネ、絶縁手袋等)の着用、高電圧配線の遮断。
・保管に当たっては、崩落防止の観点から、廃棄物処理法に基づく保管基準を参考とし、また、段積みして保管する場合や、海水に冠水した状態の自動車を取り扱う場合は、バッテリーのショート、発火を避ける観点から、マイナス側のターミナルを外し、外したターミナルがバッテリーと接触しないよう配慮。
・後日、所有者等からの問い合わせがあった場合に備えて、移動を行う前に車両の状態を写真に残すなどしてリスト化しておくことが望ましい。
 https://www.env.go.jp/recycle/car/pdfs/160422document.pdf

岡山県倉敷市真備町

斜線部分が倉敷市の浸水想定・青色部分が今回浸水した
2015年の常総市もそうだったが洪水(浸水)ハザードマップの精度は極めて高い

大雨から一週間目(7月15日)倉敷市真備町で取材

岡山県倉敷市真備町

岡山県倉敷市真備町

岡山県倉敷市真備町/決壊箇所近くの民家は基礎流失、水流の激しさを物語っている

岡山県倉敷市真備町






岡山県倉敷市真備町/末政川(小田川支流)が両岸決壊↑↓


バックウオーター現象
小田川↓は本流の高梁川の水位が上昇したため、本流に流れ込みにくくなった
また小田川の支流末政川でも小田川の水位上昇で逆流し決壊




 墓石も流失

倉敷市まび記念病院↑↓





倉敷市真備町の日の丸タクシーは近くの末政川の堤防が両岸で決壊、大型観光バス11台、タクシー22台水没

日の丸タクシー・平井啓之社長
★70人の住民を救った社長
 7月6日午後10時30分ごろ記録的大雨で小田川の支流末政川が逆流し、道路には滝のように流れていて、それが午前1時から4時頃まで続いた。そのあといったん収まったかと思ったら、7日の6時半くらいに今度はこちら側の東の堤防が決壊し一気に腰のあたりまで浸水。こちら側の決壊前に県警のボートで低体温症の方が3人運ばれてきたので、社長は社員と一緒に毛布とかバスタオルをかぶせ、マッサージをし、応接間に暖房を入れたりして看病した。そのときはまだ東側は決壊していなかったが向かいにある美容院の人たちが怖いからと避難してきた。そのころはまだ歩ける状態だったので周囲の住民たちも次々に日の丸タクシーに避難してきた。外階段から社員たちが2階に誘導、高齢者たちは畳の部屋に案内。また、近くの人たちにも「よかったらうちに避難してください」と声をかけた。会社の社屋がある敷地は周囲の住宅地より少し高台になっていた。このままだと低い土地の住宅は2階まで水没すると思ったので、小学生から高齢者まで希望者全員受け入れた。その結果住民70名と県警や自衛隊員がボートで救助してきた人などを含めると、合計約100人が日の丸タクシー社屋2階に避難し難を逃れた。その後8日の夜中までの約30時間、水も食料もなかったが社長は住民たちに声をかけ励まし続けた。住民の中には「あそこに避難できなかったら、みんな死んでいた」と涙ながらに話す人もいた。
★がんばれ、日の丸タクシー!
 株式会社日の丸タクシーは47年前の創業で平井社長(47歳)は四代目。真備本社は海抜15メートルの有井交差点に面している。これまではインバウンド(訪日旅行)のバス需要などで順調に業績を伸ばしてきた。しかし、この豪雨災害で所有していたタクシー34台・バス11台のうち、タクシー22台、大型観光バス11台が泥水に沈んだ。観光バスは1台3000万円、タクシー車輛も1台200万円から350万円する。会社が受けたダメージは極めて甚大である。そして社長の自宅も2階まで浸水しお父さんは親戚に身を寄せている。
 平井社長は「今は一日一日を乗り越えるだけでいっぱいいっぱいだが、復興に向けて街を活気づけていくためにも、住民が戻ってきたときの受け皿が必要になる。タクシー会社の使命として市民の足となることが第一。車両の手当てなど厳しい現実はあるが一歩一歩頑張っていきます」。そして「車両は失ったが、皆さんの命はかけがえのないもの、多くの人々から感謝の言葉をもらったことが一番の誇りです」と話していた。がんばれ!日の丸タクシー!

水没する前に2階に上げた、平井社長の座右の銘

★川辺小学校の石碑
 一級河川高梁川と小田川の合流地点近くに位置し、倉敷市街と総社市と井原・矢掛方面を結ぶ国道が学区の北部を東西に走り、真備町東の玄関口とされる交通の要衝。古くは山陽道の宿駅であり、高梁川のの川湊として物資の積み下ろしが盛んになるにつれ水上交通の要所として発達して来た。この川辺地区には今も本陣跡、脇本陣跡があり往時の宿場町の面影を残している。近年は県南の工業化により専業農家は激減、川辺小学校学区内には戸建て団地が増えて岡山、水島方面へ通勤する人たちのベッドタウンとなっている。倉敷市立川辺小学校は全校生徒297人(平成30年4月1日)。その校庭の片隅に石碑(高さ約70cm)がある。「昭和51年9月13日、台風17号による浸水水位」と刻まれているが、今回の水害で下部が土砂に埋まった。

★1階天井まで浸水/校長先生の話
 今まで児童たちに石碑を見せ「昔はあそこまで水が来た、だから洪水の時はあの高さより高いところに避難しなさい」とまちがった指導をしてきた。昭和51年の時は水は出たが床下浸水どまりだった。しかし、今回の水害は体育館の天井まで浸水(約3.5m)してしまった。過去の災害にとらわれてはいけないことを改めて学んだ。今後の防災教育に活かしていきたい」と語っていた。水害時の避難所にはなっていなかったが住民が数十人体育館に避難してきた。そして、水位がみるみる上昇し、慌てて2階の教室に避難して難を逃れたという。真備町の水害は過去の物差しだけで災害の大きさを想定してはいけないという教訓を残した。 

★奈良時代の豪族・政治家・学者/吉備真備公(きびのまきび・695年~775年)
 倉敷市真備(まび)町は岡山県吉備郡真備町だったが2005年8月に倉敷市に編入合併された人口22,970人(8,715世帯)の弥生遺跡もある歴史と文化の香るまちである。町名真備の由来は吉備真備公である。吉備真備公は717年22歳で遣唐留学生として阿倍仲麻呂らと共に唐にわたる。帰路は船が難破し種子島に漂着するも多数の兵法書などの書籍、日時計、楽器などを持ち帰り天皇に献上。朝廷で重職を歴任し752年には再度唐にわたり阿倍仲麻呂などと再会する(足掛け18年唐に滞在)。翌年鑑真と共に屋久島~紀州太地に漂着帰朝する。唐の文化を学び輸入しその知識を政治治世に反映させるとともに軍事改革などにも携わった。父祖の地、備中国下道郡(倉敷市真備町)との結びつきは深く、右大臣と備中国下道郡大領を兼ねていたこともあった。郷土の英雄の地、倉敷市立箭田(やた)小学校校庭にある吉備真備公の像、この豪雨災害で半身が水没。避難所である小学校も1階天井まで浸水した。↓

避難場所でもある倉敷市立箭田(やた)小学校

未曽有の洪水で家や家財を流されたが、住民の心の優しさは流されていない


災害廃棄物の仮置き場はすぐに満杯となり、路肩が仮置き場となった

★真備町の災害廃棄物7万トン~10万トン
  ボランティアの手を借りて出された浸水家財などの災害廃棄物は倉敷市真備町だけでも推定7万~10万トンといわれているが、さらに増える見込みだという。市が指定した仮置き場はすぐに満杯で、市が指導した道路端に分別されていない災害廃棄物が延々と積まれている。それが数キロメートルも続き、風が吹くと土ぼこりが舞い上がり、猛烈な異臭が鼻をつく。今後、感染症などの健康・衛生への不安や、交通渋滞を招き復旧への足かせともなっている。こうしたときは隣接自治体などが協力しての広域処理支援が必要。
 東日本大震災以降、多くの自治体が地域防災計画を改定し災害の事前対策として災害廃棄物仮置き場や分別方法・処理方法を予め準備しているところもあるが、それはまだごくわずかでしかない。今回の災害を教訓として各自治体は平時にこそ災害廃棄物処理計画や広域支援協定を策定しておく必要がある。

道路には土砂が堆積し乾燥し、車が通るたびに土埃が舞い上がる。とくに裏道はすごい!被災地はゆっくり走るのがマナー


★真備町の災害ボランティアセンター
 ここは倉敷市真備町の災害ボランティアセンター。最初の1日2日は混乱したが、その後は駆け付けた経験者やノウハウを持った社協の支援要員たちのアドバイスで多数のボランティアが滞留することなくうまくさばいていて、効率的な運営がなされているように感じた。マイカーで来るボランティアは郊外の駐車場に誘導し、そこからボランティアセンターまで送迎するボランティアを配置し、登録・レクチャー後に拠点となる学校や支所へバスで送迎していた。新倉敷駅にはボランティアセンターへのシャトルバスも運行。ただ、これから夏休みの長期戦が控えているので、長期的に滞在できるボランティアセンターの運営要員が不足する可能性がある。また、災害時要援護者の見守りなど社協本来の業務を再開するためにも、マンパワーが必要となっている。

倉敷市社会福祉協議会・災害ボランティアセンターが準備した道具

ボランティアのマナーが向上/ほとんどのボランティアが道具、水食糧、完全装備で駆けつけてくる。ありがたいことである。

熱中症、感染症などへの警戒、15分作業後15分休憩、こまめな水補給など注意事項の確認/倉敷市真備支所

35℃を超える熱波の続く中、全国から駆け付けてくれたボランティアの熱心な活動が被災者を勇気づける
ボランティアの皆様に心からの敬意と感謝を捧げます


倉敷市災害ボランティアセンターが配布しているチラシ



被災者の一日も早い生活再建をお祈りします

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防災システム研究所山村武彦プロフィール阪神・淡路大震災東日本大震災災害現地調査写真レポート