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2024年台湾東部沖地震(花蓮地震)/現地調査写真レポート(速報)
文・写真/山村武彦

市街地の被害は限定的
 2024年4月3日午前7時58分(日本時間:午前8時58分)ごろ、台湾東部花蓮縣沖25㎞、深さ15.5㎞を震源とするマグニチュード7.7(気象庁)の地震が発生しました。震源に近い花蓮(かれん)市で最大震度6強、太魯閣(たろこ)国立公園で震度6弱の揺れを観測。日本では地震後沖縄県などに一時津波警報が発表されましたが、宮古島と与那国島で最大30㎝の津波高が観測されただけで、ほとんど被害はありませんでした。
 日本で関心を集めたのが、花蓮市などで鉄筋コンクリートのビルが大きく傾いた映像の報道でした。私は1999年台湾中部地震(集集地震)や、2018年花蓮地震の時にも現地調査を行っていましたので、今回も地震発生から6日目に花蓮に入りました。以下はその現地調査写真レポート(速報ベース)です。
 現地に入って真っ先に感じたのは、2018年花蓮地震の時よりも市街地の被害は少ないのではないかということです。古いビルの倒壊や損壊はありましたが、市街地では電気、水道、通信のインフラも機能しており、大部分の人達の日常生活や社会活動は平常通り行われているように見えました。
 この地震による死者・行方不明者は19人(4月8日時点)、そのうち15人が太魯閣国立公園内の斜面崩壊などによるもので、市街地等の犠牲者は4人にとどまっていました。日本のメディアは能登半島地震などと比較して台湾の復旧・応急対応が非常に早いと伝えていましたが、現地に行ってみると花蓮市市街地の道路、橋梁、鉄道、電気、水道等の被害は軽微で、復旧が早かったのではなく、市街地の被害が限定的だったからだと思いました。大きく傾いたビル2棟を含めても全壊建物は32棟に過ぎず、全壊建物約8800棟という令和6年能登半島地震とは被害規模が大きく異なり、単純比較はできないと思います。私を含め、情報を伝える時は全体の状況を正確に伝えることの大切さを実感しました。
 市街地被害が限定的とはいっても、建物損壊被害を受けた1470世帯は転居を余儀なくされており、被災者には極めて重い現実が突き付けられ、ボランティアや自治体の支援はあるものの厳しい非日常の生活が続いています。また、太魯閣国立公園内などの山間地では道路の損壊や斜面崩壊による土砂災害が各所で起きており、復旧工事と並行して行方不明者の捜索が今も続いています。犠牲者のご冥福と被災者の一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。


★日本(東京)と台湾(台北)は約2100㎞離れていますが、海底ではユーラシアプレート、南海トラフ、フィリピン海プレートでつながっています。
① 2024年3月1日千葉県東方沖地震(M5.3)・3月21日茨城県南部地震(M5.3)/フィリピン海プレートの東端
② 2024年4月3日台湾東部沖地震(M7.7)/フィリピン海プレート同士がぶつかり合っている場所
③ 2024年4月17日豊後海峡を震源とする地震(M6.6)/フィリピン海プレート内部の地震
★ 大地からの警告
いずれの地震も、フィリピン海プレート沿い又はフィリピン海プレート内部で発生した地震。離れていること、メカニズムが異なるなどを理由に、南海トラフ地震には直接影響なしとする研究者が多いが、中にはフィリピン海プレート沿いで起きている地震は南海トラフ地震と関連すると考える方が自然とする専門家もいます。我々は今、これらの地震が「大地からの警告」と思って、一層厳重な警戒(準備と覚悟)をすべきと思います。

南海トラフ沿いでは陸側のユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでいます
これは、日本の南西部と台湾は同じ状況ですが
台湾東部沖合ではフィリピン海プレート同士が複雑にぶつかっているといわれ
今回の地震はそのフィリピン海プレートがぶつかっている付近が震源とされています


台湾中央気象署によると、最大地表加速度は花蓮市に比べ太魯閣(たろこ)は約4倍のgalを観測

画像出典:花蓮縣HP

地震前(左)と地震後(右)/画像出典:BBC

画像出典:花蓮縣HP 

 
天王星大楼の地震前(左)と地震後(右)/画像出典:BBC

★天王星大楼(地上9階/地下1階)
 1階には飲食店・商店があり、壁率が少なく柱の耐震強度不足が指摘されていたビルです。このビルではペットの猫を助けに戻った40代の女性が犠牲になっています。地震後5日目から傾いたビルの解体作業が24時間態勢で進められていました。花蓮縣の徐縣長に尋ねると「本来解体するには所有者等の同意が必要ですが、今後大きな余震があれば倒壊の恐れがあり隣接ビルを損壊させる危険性があります。そうした公共の安全が懸念される場合は縣長の判断で解体できるのです」ということでした。解体途中、安全を確認しつつ貴重品の持ち出し、検察の捜索、猫の救出作業も行われたそうです。

★ビル解体現場視察時、日本のメディアと共に多くの地元メディアから取材を受けました。通訳がどの程度伝えられたかわかりませんが、主に次のようなコメントをしました。
「2018年花蓮地震の時も6日目に花蓮に入りました。その時は市街地全体が真っ暗でしたが、今回は道路や橋の損壊は少なく、街中明るくほとんどの商店が営業しているので驚きました。電気・水道・通信などのインフラや市街地の被害は2018年の時より限定的と感じています。今回も2018年花蓮地震と同じように耐震強度の低いビルが倒壊していますが、一方で2005年の耐震基準で造られた建物はほとんど被害を受けていないようです。日本もそうですが、古い建物の耐震補強や新耐震基準の遡及適用などが今後の課題と思います。
 そして、人的被害は山間地の太魯閣国立公園に集中し、今も安否不明者の捜索が懸命に行われています。また、この地震で住む場所を失った1470世帯の人たちのことを思うと心が痛みます。東日本大震災の時など日本で災害が発生すると、いつも多大な支援をしてくれてきた台湾。日本人はそのことを感謝しており、今も忘れていません。その台湾で大地震発生。日本では今、台湾の被災者に心を寄せ、義援金を募り台湾を支援しようとしています。犠牲者のご冥福と、被災者が一日も早く日常生活を取り戻されるようお祈りしています」翌日、台湾各TV局がニュースで伝えたようです(上記画像は友人が送ってくれたもの)
★NHK総合テレビも「台湾東部沖地震から1週間」のテーマで放送時に、私の発言の一部を紹介しています。
台湾でNHK記者の取材に対し、私は主に次のようなコメントをしています。
「台湾では自治体と民間ボランティア団体が積極連携し発災時の迅速支援態勢を取っています。とくに花蓮縣では、2018年の花蓮地震や台風災害時の教訓を活かし、受援体制を大胆に更新しています。避難所運営、物資の提供、人的支援、被災者の生活再建支援などについて、協定を締結したボランティア団体は1630団体・企業542社に上ります。今回の地震でも、支援を申し出てくれたボランティア団体や企業の支援は全て受け入れ、迅速な避難所開設・運営、避難者支援を可能にしています。発災時、多数の団体・企業からの支援申し出に対し、それを適切にコントロールするため、自治体と連携し受援調整支援をする調整スキルのあるNPO団体も活躍したそうです。特に今回は、「LINEグループ」などSNSを積極的に活用し、避難所運営や受援ニーズ、支援シーズなどの共有・調整を図るなど、2018年花蓮地震当時と比較すると、避難所・被災者対応などの受援体制が格段に進化したように感じました。花蓮縣長は、私に慮って「様々な面で日本に学んでいる」とおっしゃってくれましたが、地域特性は異なっても、日本も台湾から学ぶべきことがあると思います。災害関連死をなくし、人命を守るための防災対策に国境はないのですから」と。

台湾では拙著が翻訳・販売され、図書館にも置いてあるため、私を知っている人もいるようです

花蓮縣庁で徐榛蔚(じょしんい)花蓮縣長と面談
災害など緊急時は官民一体となって被災者支援、復旧復興を進めるとおっしゃっていました
私の意見・提案に耳を傾ける徐榛蔚花蓮縣長と陳社会處長

台湾の次期総統頼清徳(らいせいとく)副総統は
地震発生当日に被害の多かった花蓮の被災地を視察
画像出典:TVBテレビ
蔡英文(さいえいぶん)総統も1週間目に被災地を視察。左側は徐榛蔚花蓮縣長
(ちなみに岸田首相が令和6年能登半島地震の現地を視察したのは2週間後でした)
画像出典:NHK総合テレビ

建物損壊により1470世帯以上が転居する必要があるといわれています

国立花蓮女子高級中学校
★日本統治時代に創立された女学校
 國立花蓮女子高級中學校の張曼福(ちょうまんぷく)校長先生の話では、この学校は日本の統治時代の1927年に創立された女学校で、今年5月で創立97周年を迎えるそうです。損壊した校舎は旧耐震基準の古い建物ですが、生徒はすぐ外へ出て人的被害はなかったとのこと。

★民間業者も自発的に緊急対応
 友人の顔 勝裕(がんかつひろ)氏は、今回も地震直後に重機をもって消防隊員と共に救助活動にあたったといいます。ちなみに2018年花蓮地震の時も顔さんは、日本の国際緊急援助隊と一緒に活動しています。(発災時、重機を持ったスキルの高い建設業者などが救助・道路の応急啓開などを自発的に行える契約を事前に締結)

国立東華大学実験棟焼失/地震で薬品が多数倒れ出火したといわれています

地震被害の特徴で、壁にせんだん(X形)ひび割れはあるものの、柱に大きな損傷はないようです
下図は、このビルの内部の様子

★台湾有数の観光地・太魯閣(たろこ)国立公園(92000ha・台湾8景の一つ)
 花蓮縣は台湾東部中央に位置し南北137.5㎞東西約43㎞で、東は太平洋に面し、西に中央山脈が控えています。面積は台湾最大ですが、大部分が山岳地帯で平地は約9%に過ぎません。
その山間地でがけ崩れなどが発生し公園内で観光客など一時600人が孤立しました(現在は孤立解消)

上図は地震前の太魯閣国立公園砂卡礑(しゃかだん)渓流
下図は地震後、左部分の崖が崩壊し道がなくなっています

★巨岩に阻まれる捜索
 地震から1週間、行方不明者6人のうち3人はトレッキング中に被災したとみられる家族4人とシンガポール人2人が行方不明になっており、同じ場所にいたものと見られています。現場はがけ崩れにより5mほどの巨大岩石や土砂で覆われ、重機が入れず捜索は困難を極めているようです。

★特別救助隊
 連日、行方不明者の捜索にあたる特別救助隊の隊員達に、日本人観光客を救助してくれたことへの感謝と、困難な捜索活動を続ける使命感と勇気への敬意・尊敬の念・激励の意を伝えました。(彼らは何としても行方不明者を発見したいと語っていました)

地震前(左)と地震後(右)/画像出典:BBC

★避難所のテント
 避難所にはプライバシーに配慮したテントと組み立てベッドが地震発生後数時間で設置されました。世界最大級のNPO慈善団体・慈済基金会(下の画像)が常に2000セット(約6000人分)備蓄しています。ベッドもテントも慈済基金会が「慈愛の心」で回収ペットボトル素材を使い製造したものです。前述しましたが、発災時にボランティア団体が自主的に活動できるよう契約が結ばれています。発災時、各ボランティア団体などの調整やまとめ役も慈済基金会が窓口になることが多いようです。そして、被災者を長く不便な避難所に置くのではなく、ホテル、民宿、公的施設など
恒久的に住める住家の斡旋、無償貸与もボランティア団体や企業がも協力して実施しています。費用は自治体が毎月一定額(1世帯4万円程度・下記資料参照)補助するそうです。今回も避難者全てが迅速に避難所から転居し、発災後5日目には7カ所の避難所は全てが閉鎖されました。
慈善団体からの義援金贈呈も縣長さんが直接対応/立会いを依頼され一緒に記念撮影

★家を失った人への仮住まい補助金
 住まいを失った被災者(1世帯3人家族の場合)に毎月8000元(約40000円)を花蓮縣が補助します。そして、18000元(約90000円)を上限に、家族が1人増えるごとに2000元(約10000円)が加算されます。補助金は2年を限度に支給され、今回は発災後3日目から支給を開始したといいます。

★慈済基金会
 慈済基金会の正式名称は財団法人中華民国佛教慈済事前事業基金会という世界最大といわれる慈善団体です。発祥の地である花蓮市に本部があります。上図は世界に会員500万人といわれる本部の静思堂。慈済基金会は中華民国の仏僧「印順」の弟子で尼僧の「釈証厳」によって1966年4月に花蓮で設立されました。「慈済」の由来は「慈悲為懐、済世救人」(慈悲を抱き、世を助け人を救う)からきています。尼僧が主婦グループを主導したことに始まり、女性が主要メンバーとして活動していることでも有名です。慈済基金会は東日本大震災の際、救援物資と共に現金約50億円以上を被災者に直接寄贈し感謝されています。
 上図は慈済基金会の創始者で「花蓮の導師」「台湾のマザーテレサ」と敬愛される釈証厳師が法華経を読誦した小木屋です。(慈済基金会発祥の地)

 今回の地震被害は限定的ですが、 住む場所を失った約1470世帯の生活再建までの困難な道のりが控えています。また。台湾有数の観光地太魯閣国立公園の閉鎖もあり、外国人観光客のキャンセルが相次いでいるといいます。慈済基金会だけでなく、台湾の人たちは東日本大震災でも200億円以上の世界で一番多くの義援金を送ってくれました。
 また、令和6年能登半島地震では石川県のホテルなどでは外国人の多くがキャンセルしましたが、台湾の人たちは「被災地支援」として、ほとんどがキャンセルしなかったといいいます。花蓮には太魯閣だけでなくほかにも多くの観光場所が健在ですし。小籠包やシュウマイなど美味しいものが沢山あります。これまでの暖かい台湾の人たちの友情と支援に対するお返しとしても、花蓮に観光支援に来てほしいと思います。加油 花蓮!(がんばれ花蓮)

 
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