2013年伊豆大島土砂災害 現地調査写真レポート/山村武彦

2013年10月16日未明・台風26号による記録的大雨に見舞われた伊豆大島で大規模な土砂災害発生(死者・行方不明39名)
16日午後、私は調布飛行場から新中央航空・Dornier 228-212機(19人乗り)で現地に向かった。約25分で大島空港へ到着

 大島空港では自衛隊、警察庁、消防庁などの航空機やヘリが物資及び人員輸送にあたっていた

 

 
土砂災害は主に島の西部・元町地区(赤い円)で発生、(泉津地区も一部斜面崩壊)

 
上空から見た土砂災害現場(西斜面)と元町地区

水・土砂・流木は標高250m付近から海まで約2劼鯲れ下った

三原山山頂と火口に通じる「御神火スカイライン」沿いに大崩落の爪痕が集中している
地元では「スカイラインの道路建設で山のバランスが崩れ、土砂災害を引き起こした」という人も多い
島全体の大雨にもかかわらず西斜面だけで大規模な土砂災害が起きたことへのやり場のない怒りの声でもある
今後、土砂災害発生メカニズムの検証と共に、道路が与えた影響の有無など精査することも課題の一つ

 

崩壊した御神火スカイライン


★6時間雨量549.5个魯錙璽好汎本新記録
 大島では台風26号接近に伴い、2013年10月15日9時頃より雨が降り始めた。そして、15日23時を過ぎより時間雨量40mmを超えるようになり、台風の中心が最も接近した16日午前1時から5時頃にかけては、80mm/hから150mm/hの猛烈な雨が降っている。積算雨量は15日9時から16日9時までの24時間で824mm。15日23時から16日5時までの6時間雨量が549.5个魑録。これはワースト日本新記録である。16日午前2時ごろには元町各所で大規模な土砂災害が襲い住宅流失などの大惨事になっていた。
★気象災害多発要因「地球温暖化」
 オクラホマ竜巻連続災害(2013年5月)は米国竜巻史上最悪規模、台風26号伊豆大島土砂災害(2013年10月)はワースト日本新記録の大雨、その翌月にはフィリッピンで台風30号(2013年11月)による風速90m/sという猛烈暴風で多数の犠牲者を出しフィリッピン政府は「国家災害」を宣言した。このところの海水温・海水面の上昇を見れば地球温暖化が気象災害多発に影響を与えていることは議論を待たない。今対応しなければ取り返しのつかない事を「結果の重大性」と呼ぶ。排出量の多い米国、中国などが率先して温室効果ガス排出規制の国際基準を前倒しして遵守しなければ、地球上あらゆる場所で大規模災害多発時代に陥ってしまう可能性がある。折しもCOP15(第15回気候変動枠組条約締約国会議)が開催されている。ポスト京都議定書の国際ルール締結が期待されているが、多くの議論が国家エゴの応酬に時間が費やされていることは残念である。かけがえのない人命、地球環境、文明社会を破壊しないために、子孫に結果の重大性を招かないために今、リーダーたちの決断が迫られている。

上図、黄色い部分は1338年の三原山噴火に伴う溶岩流の跡、赤い部分が今回土砂災害が発生した場所で溶岩流跡と重なる
675年前の溶岩上に積もった火山灰が記録的大雨で保水能力を超え、浸透しない溶岩の上を滑るように土砂が崩落した表層崩壊と推察する

土砂が流下したとみられる場所に溶岩がむきだしになっている
(過去、溶岩が流れ下った場所(谷合)を、土砂水が流下)

★堆積工、流路工(導流堤)
 上図、大金沢本川堆積工(右上・おおがねさわ ほんかわ たいせきこう)、八重沢堆積工(左下・やえざわ たいせきこう)、流路工(上部・りゅうろこう)の使命は、主に噴火時における溶岩流(泥流)対策であった。これらは1986年の三原山 側噴火(割れ目噴火)を教訓として、溶岩流が元町中心部や住宅地域に流れ込まないように、流路工(導流堤)などへ誘導することが主たる目的。大金沢は町の地域防災計画で「土石流危険渓流」に指定されていて、堆積工には土砂災害時に水だけ流し、土石流などを抑え込む砂防ダムの役割も期待されていた。
 今回の土砂災害で大金沢本川堆積工は、流木を食い止め、大量の土砂を受け貯めることで一定の使命を果たしたものと思われる。しかし一方で、堆積工に流木などが積み上がっため流れが変えられたり、堰き止められた大量の土砂と雨水が一時的に堰きとめダム状態になり、やがて圧力に耐えられなくなった大量の土砂流がさらに激流と化し、山津波となって麓の住宅街を蹂躙、何度かそれらが繰り返されたものと推定される。
 大金沢(おおがねさわ)とよばれる流路工(導流堤)にも大量の流木と土砂流が山津波となって流れ込んだ。しかし、溶岩を誘導するために住宅街を避け迂回させようとカーブさせ、その上に架けられた橋に流木が積み重なり、流れを変え住宅街に大きな被害をもたらせたのではないかという人もいる。
★土石流というより山津波、素人感覚では「土砂木水流」
 住宅損壊・流失など被害が多かった元町神達地区及び元町三丁目付近を16日午後に見て回ったが、土石流というほど石れきは少なく、土石流というよりは土砂(泥流)流といえる。しかし、上流から下流まで歩いてみて土砂の堆積は思ったほど多くなく流木によるダメージの方が酷く感じた。堆積していた土砂も主に火山灰とシルトの混合物が多いように思われた。そして、被害を受けたいくつかの住宅内を見せてもらったが、土砂で埋まっているところは一部で、大部分は水流と流木で破壊されていた。2012年の九州北部豪雨災害とは水と土砂量の比率など流下物の様相はかなり異なるよう思われる。推定だが、所々で堰き止められた土砂と流木が、さらに押し寄せる大量の水の圧力に耐え切れず間欠的に堰が破壊され、そのたびにまとまった量の水流(土砂の混じった)と流木が一気に流れ落ちた山津波のようだ。そんな言葉はないが素人感覚では「土砂木水流」のほうがぴったりする。自宅が流されながら九死に一生を得たという元町三丁目の男性(68)も同じようなことを語っていた。いずれにしても専門家や研究者による今後の検証結果に注目したい。

 
上図は土砂に埋まった流路工
下図はあまり土砂が堆積していない流路工
 

 

流路工に架けられた橋に大量の流木が積み重なって大量の水と土砂流の流れを変え、住宅街に大きな被害を出した


元町三丁目付近

 
住宅ごと流された基礎跡には、過去(1338年)の溶岩流の痕跡が見える(元町三丁目付近) 
 

 
大量の流木と土砂に阻まれ、救出活動は困難を極めた


 
細い根ごと流された流木、土砂と一緒に根こそぎ流されていた
ここでは数軒の住宅が跡形もなく流されていた
この災害で全半壊206棟、一部損壊162棟、災害ゴミは約3万トン

 
 


東京都大島町役場前(噴火災害時の集合場所・津波に備えた標高周知標識が設置されている)

★台風26号について「10年に1度の強い勢力」と気象庁(10月15日午前)
 大型で強い台風26号について気象庁は、15日午前に臨時記者会見を開き、次第に速度を上げ日本の南海上を北上し、16日朝には勢力を保ったまま関東に接期する見込みで、上陸の恐れがあるとして、「関東に接近、上陸する台風としては10年に1度の強い勢力」だとして西日本から北日本の広い範囲で暴風や高波、大雨に警戒するよう呼びかけた。16日正午までの24時間予想雨量はいずれも多いところで東海400弌関東甲信、伊豆諸島で300亅弌6秒賄に1時間80舒幣紊糧鷯錣砲糧鷯錣坊磴靴けのおそれがある。と、気象庁は強い危機意識を表明していた。
★出されなかった特別警報
 前述の記者会見で気象庁は質問に「台風26号で特別警報が発表される可能性は否定できない」と答えている。しかし、大島の3時間雨量や48時間雨量が数十年に1度しかないような値になって雨量基準は超えていたにもかかわらず、「府県程度の広がり」という面積要件が満たされていないということで特別警報が出されなかった。島しょ部に「面積要件」を課すのであれば全国大部分の島は特別警報対象外地域になってしまう。そうであるなら島しょ部の住民たちに特別警報が出されないことを事前にきちんと伝達しておくべきである。会見で「特別警報発表の可能性のある台風」と言われていたら、特別警報が出ないからまだ大丈夫と「特別警報待ち」の住民がいてもおかしくはない。防災気象情報は発信者だけの論理だけでなく、受信者(自治体や住民)がどう受け止め、どう行動するかをも忖度する必要がある。若し、特別警報が発表されていれば、大島町は直ちに避難勧告又は避難指示決断の背中を押したものと思われる。
 安倍首相は伊豆大島土砂災害の教訓を活かすべく10月26日「特別警報級の警戒」というような言葉で危険を伝えるなど「特別警報」のあり方を改善するよう指示した。さらに総務省消防庁は来年度からJアラート(全国瞬時警報システム)を使って「特別警報」を伝えることとしている。また、内閣府は2005年に作成した「避難勧告等の判断・伝達のガイドライン」の見直しに着手した。
 事後といえども速やかに不備を是正しようとする姿勢は評価できる。しかし、人命にかかわることは過ちでは済まないことが多い。それぞれの分野で事前に内包する危機を多角的に洞察・検証する仕組みづくりの構築こそ重要でははないだろうか。
★大型台風接近中、島外出張するトップの危機意識
 気象庁は台風26号に係る勢力及び進路予想などの情報は3日以上前から克明に伝えていた。上陸はしなかったものの気象庁の予報・予想はほぼ的中している。そして、「10年に1度の強い勢力」の台風が接近しているにもかかわらず、大島町長と副町長は島外に出張中で町を留守にしていた。突発的に発生する地震予測はできないが、台風の場合は事前にそれも極めて詳細情報が適時提供される。つまり、危機が大島町及び住民に迫っていることは分かっていたはずであり、厳重な警戒態勢を取ることが求められているのに、なぜトップ2人とも島外に出張していたのか極めて疑問である。仮に危険が迫ってから大島に戻ろうとすれば船か飛行機である。しかし、台風が接近しからでは両方とも欠航となる可能性が高い。災害が切迫・発生してからの帰島困難は自覚していたはずである。非常事態が迫っていて住民の安全を最優先すべき自治体トップの不在は、トップたちの土砂災害に対する危機意識不在(欠落)を内外に強く印象付けた。
★伊豆大島町の防災対策
 伊豆大島の町や住民の防災意識は決して低くはない。むしろ他の市町村と比べたら全体の防災民度は高い方だと言えるかもしれない。この町が防災対策に積極的に取り組むことになったのは1986年11月の三原山噴火災害以降である。約1か月間の全島避難を経験し国や都の支援を受けて、災害に強い街づくりを推進してきた。1987年から着手した主な防災対策を列記すると、
(1)同報無線や移動系無線の増設
(2)町内全世帯への戸別受信機の配備
(3)東海汽船バスへの無線機の搭載
(4)旅館・消防団・公共施設への緊急放送受信機の配備
(5)避難体制の整備
 嵌鯑颪凌監澄廚虜鄒、全戸配布
避難所・避難道路・避難港への夜間照明の整備
消防団の通信機器の整備
に漂匯毀荏反イ侶訐
(6)「危険地域への立ち入り禁止措置」
〃找区域の設定
⇔ち入り規制の看板の設置
(7)「避難施設緊急整備計画事業」
‥堝察δ道の整備
港湾の整備
B猗鮃茲寮鞍
ぅ悒螢灰廛拭屡着場の設置
コ惺擦良塲碍牢化
Ω民館の不燃堅牢化
そのほか、災害備蓄倉庫の整備、消防施設の整備、避難休憩舎等の整備、都立高等学校体育館の不燃堅牢化などの対策を進めてきている。とくに、大島町が力を入れたのは「情報伝達体制の整備」・「防災訓練の実施」・「防災市民組織の結成」であった。
★情報伝達体制の整備
 1986年の大噴火を踏まえて、住民や観光客への情報伝達体制の整備を重点施策として推進した。 峅鯵鯵叛縞式の同報無線」については、中継局2か所、同報無線子局13か所を増設。◆峺擁娘信方式び同報無線」については、島内の全世帯(当時4,330世帯)及び消防団・公共施設・事業所などに戸別受信機を配備した。「移動系無線」については、5ワット子局27台、10ワット子局15台を増設したほか、東海汽船のバス38台に無線機を搭載。また、緊急警報放送受信機(テレビ100台、ラジオ100台)を旅館、消防団、公共施設などに配布したのである。
★防災訓練・実施状況
 大島町では住民が全面帰島した直後の1986年12月24日、噴火時に最も危険が予想された南部の波浮・下地地区において、1,400人の住民が参加して避難訓練を実施した。また、噴火1年目の1987年11月21日には参加人員8,000人以上、総経費1,500万円を超える大規模な総合訓練を行った。この訓練では住民の約80%が参加し、併せて観光客も多数参加した実践的な防災訓練となった。以後、毎年11月21日には全島各地で防災訓練が開催されてきた。今年も土砂災害発生の翌月11月21日に津波対策しての津波防災訓練が企画されていた。従来、大島町の防災訓練は噴火時に安全な場所に避難する噴火避難訓練が主体であったが、今年になって、中央防災会議から南海トラフ巨大地震発生に係る被害想定で伊豆大島には最大16.2mの津波が襲来するとの発表を受けて、今年度は津波避難訓練となったものである。
★大島の防災市民組織
 防災市民組織は、住民が全島帰島した後、1987年3月末に結成された。8地区、49ブロック、270班から構成されている。防災市民組織は、初期消火や非常用品の備蓄など地域防災全般にかかわるというより、むしろ、噴火時の円滑な避難を目的としており、(火時に一時避難場所まで班単位で避難すること各班長が構成員の名簿を管理し避難時の人員把握J盥垪て饉圓鰺修畴聴し噴火時にその避難を援助するなどである。当時住民に行ったアンケー調査では防災市民組織の評価について、「非常に役立つ」「かなり役立つ」と評価する人が73%で「まったく役立たない・あまり役立たないと思う」25.6%を大きく上まわっていた。この防災市民組織はそれ以降も維持されており、東日本大震災のときの津波警報時にも班ごとに避難を呼び掛けたり安否確認に役立っていた。
直近の既往災害にとらわれた防災対策
 台風26号接近中に島根県に出張していた町長は2011年4月の選挙で初当選した。2011年といえば3月11日に日本中を震撼させた東日本大震災が発生したときである。その翌月に就任した町長は選挙の争点なども含め防災対策の重要性は強く認識していたものと思われる。就任後、津波と噴火に備えた「災害時集合場所」と「標高表示}をひとつにした標識を町中に設置。また26年前に設置した各家庭の戸別受信機を新しい機種に交換することを決めて昨年から1000機、今年度中に全ての交換が終了する予定になっていた。
 さらに従来の噴火対策に偏った地域防災計画を見直すために、島内8ブロックの各ブロックごとに地元の消防団役員、自治会役員、市民防災会役員などと町長が集まって「地域防災連絡会」を開催してきた。それは地域特性に合わせた防災上のニーズを取り込み地域防災計画に反映させようとするものであった。今年に入って数カ所でその連絡会を開催していて10月にも行われる予定であった。
 このように防災対策について、他の市町村と比較してもむしろ防災に力点を置いているように見受けられる。しかし、残念ながら直近の既往災害(1986年三原山噴火、2011年東日本大震災)にとらわれた防災対策でしかなかった。1958年狩野川台風で元町で土砂災害(現地では山津波として恐れられている)が発生していたにもかかわらず、防災対策の主眼が噴火対策・地震・津波対策に偏っていたきらいがあった。一部の職員は「火山灰は排水性がよく、大島では大規模な土砂災害は起きないものと思っていた」と答えているように、土砂災害への危機意識が低かったのかもしれない。
★土砂災害警戒区域等の指定
 「急傾斜危険区域・渓流等」など都が把握していた危険個所は71箇所あったが、大島は1か所も土砂災害警戒区域に指定されていない。東京都は土砂災害防止法に基づき、多摩地区などで法的な規制を伴う土砂災害警戒区域及び特別警戒区域の調査及び指定を進めているが、島しょ部に於いてはいまだ手つかず状態である。噴火や溶岩流に係る警戒区域指定はあるが、土砂災害警戒区域及び特別警戒区域指定はまだなされていなかった。もし、土砂災害警戒区域が指定にされていて、区域の住民にも周知徹底されていれば、避難勧告も出しやすく、自主避難も行われていた可能性がある。土砂災害警戒区域指定については基礎調査などにコストと時間がかかると思う。だからこそ、地質・地盤(溶岩上の火山灰地)などの危険度を考慮した上で優先順位に反映すべきではなかったか。
★発表された主な警報(時系列)
☆10月15日

17:38/大雨警報
18:05/土砂災害警戒情報(東京都を通じて大島町へファックス送信するも・確知の確認取れず)
18:05〜01:00/役場職員不在
23:00〜05:00/6時間雨量549.5弌Ε錙璽好汎本新記録
気象庁/15日23:00〜16日06:00までの間に東京都に対する気象情報を5回発表し「伊豆大島では記録的な大雨になっている」などと厳重な警戒を呼びかけたほか、16日未明から明け方にかけて「記録的短時間大雨情報」を合わせて3回発表。15日夜遅くから明け方にかけ、東京都の防災担当者に3回、大島町の担当者に1回、それぞれ直接電話をかけ「伊豆大島では厳重な警戒が必要だ」として、防災上の対応を呼びかけたという。
☆10月16日
01:00〜/関係職員参集し始める
02:00/大島町非常配備態勢
02:00〜/各地から土砂災害発生の連絡
02:32/記録的短時間大雨情報
03:00/総務課長から町長へ連絡、町長は「夜間の避難勧告は危険とし、避難勧告は見合わせることを指示」
★避難勧告・避難指示
 災害前日の18:05に土砂災害警戒情報のファックスが東京都から届いたが職員不在でファックスは放置されていた。職員がファックスを確認したのは16日02:00頃で、そのころには役場へ各地から土砂災害発生の報が伝えられている。町長が「深夜の避難勧告は却って危険」と判断したことは一理あるが、その時点で事態の深刻さを認識していなかったものと思われる。もし、土砂災害警戒情報が特別警報に近い危険度の高い情報ということを認識していて、大島にワースト新記録となるような大雨が降っているのを知ったら、深夜であっても急傾斜地として指定されていて今回被害の多かった大金沢及び八重沢周辺地区の住民に対し避難勧告又は避難指示を発令していたのではないか。
 土砂災害の翌月に実施された大島町住民アンケートによると、回答した104人の66%が「町は避難勧告や避難指示を出すべきだった」とし、「出さなくてもよかった」の8%を大きく上回った。避難勧告や避難指示を出すべきだったと回答した理由として「発表されていれば死者も少なくて済んだ」という声もあったが、「町も住民も土砂災害への防災意識が薄かった」という反省もあった。それを示すように、仮に勧告や指示が出ていれば「避難していた」は49%にとどまり、「避難しなかったと思う」の42%と大差なかった。いかに平時の意識啓発が重要かを示している。
★土砂災害警戒情報の精度と防災避難情報の空振り
 某自治体職員は「土砂災害警戒情報は空振りが多く、避難勧告などの発令基準にするには難しい情報だった」と語る。確かに「土壌雨量指数」などを組込んで的中率は上がったと言われるが、これまでの4年間の的中率は3.5%でしかなかった。今後さらに精度が上がることを期待したい。
 また、自治体が空振りを恐れて避難情報(避難勧告・避難指示)を躊躇する裏には、財政の厳しさもある。避難情報を発令すれば避難所開設、警戒・警備など役所の職員だけでなく、消防団、消防職員、警察官などの非常配備態勢が必要となる。人件費等を含め数十万円から数百万円の予算が必要となる。災害発生すれば災害救助法、激甚災害などで町の負担は少なくなるが、空振りの場合、一般的にはそれらの費用は予備費から出される。台風、大雨、土砂災害、津波警報などが度重なると予備費が底をついてしまう。表向き、自治体は費用が掛かるからと避難情報を出さないとは言えないが、頻繁に非常配備態勢を取ると、一般業務にも影響を与えることや職員から苦情も出ることになる。国は首長が後顧の憂いなく早め早めの避難情報が発令できるように、空振りの場合でも非常配備態勢に係る費用の助成制度を構築すべきである。


★気象庁伊豆大島火山防災連絡事務所
 大島町役場の2階に、気象庁伊豆大島火山防災連絡事務所(所長1名職員1名の計2名体制)がある。この連絡事務所は、活火山である伊豆大島火山観測や、火山活動について行政などへの情報提供、地震計や監視カメラの保守点検などが主な任務であった。
 災害の前日、大島町では台風26号に備えて最接近が想定される16日未明(午前2時)から非常配備態勢に入ることが決められた。火山防災連絡事務所長と職員も未明(午前3時)から非常配備態勢に入るため午後5時半ごろいったん帰宅する。午後6時05分ごろ、大島町には東京都を通じて「土砂災害警戒情報」発表のファックスが届いた。しかしその時、大島町職員は全員不在で午前2時頃出勤して知ることになる。連絡事務所には「土砂災害警戒情報」が届くシステムになっていなかった。午前3時前に登庁して初めて土砂災害警戒情報発表を知って、所長らは午前2時から非常配備態勢を敷いていた大島町職員へ降水量や気象データを提供し防災対策に加わっていった。
★4年前に閉鎖されていた大島測候所
 4年前まで大島には測候所があった。大島測候所は1938年に創設され、気象観測、三原山の火山監視、町役場との連携など最前線で地域密着型の防災業務を担っていた。しかし、小泉純一郎首相(当時)が掲げる「行政の効率化推進」によって、2006年に測候所の原則撤廃が閣議決定される。それまで気象庁職員十数人が常駐していた大島測候所は2009年10月から無人観測所となってしまった。
 2013年10月16日未明、この無人観測所で24時間雨量824个竜録的降雨量が観測された。避難勧告の判断に使われる「土砂災害警戒情報」は前日の18時05分に発表されていたが、町役場の職員は気づかず避難勧告も出されなかった。気象庁の予報官は、もし大島測候所があったら「現地で雨を体感し、異常な降り方だとすぐ分かったはずだ。強い危機感を町役場に伝え避難情報発令の背中を押すことができたかもしれない」と悔やむ。
 実際、伊豆半島や関東地方で死者・行方不明1,269名という甚大被害をもたらせた狩野川台風(1958年)は、伊豆半島や伊豆諸島で総雨量753弌∋間雨量120个箸いβ膠が降り、狩野川流域や山間地で洪水、土石流、山腹崩壊などが多発した。伊豆大島でも大雨に見舞われ、今回土砂災害が発生した元町周辺で山津波が発生する。その時、大島測候所は現在ほどの観測機器が整備されていなかったにもかかわらず、リアルタイムで観測情報・気象情報提供と共に危機感を共有し続け、町が住民に警戒や早期避難を呼掛ける援けとなった。その結果、全壊家屋55戸、半壊49戸という被害を出しながら、死者1名・行方不明1名と、人的被害を最小限に食い止めることができたといわれる。
 財政再建、行政効率化という大義名分による聖域なきリストラは、ひとつ間違えると国民の安全を脅かし尊い人命まで犠牲にする。危機管理の危機という字には「リスク・危」と「チャンス・機」とが表裏一体である。危機管理で優先すべきは「結果の重大性」である。結果の重大性優先とは「取り返しのつかない事を優先しおろそかにしない」ことである。失ったら取り返しのつかない事は、人命であり時間(タイミング)であり優先順位である。財政再建・効率化のチャンス(機)に対し、かけがえのない命を守る安全の仕組みをおろそかにするリスク(危)を無視していないか、優先順位を間違えていないか、地球温暖化による異常気象時代にタイミングを誤っていないか。それらを多角的複眼的に精査検証した上でこそ判断すべきである。人命にかかかわる安全の仕組みはリストラしてはならないのである。もし今、大島に測候所が残っていたらと思うと、私自身その時点で思い及ばなかったことに忸怩たる思いを払しょくできない。
 

 

 
島のいたるところに設置されている避難壕と標高表示板、急傾斜地危険区域など土砂災害警戒標識は見かけなかい
1986年三原山噴火時の後のように、今後 国・都・町は大島の土砂災害対策に力を入れることになる
しかし、それでも災害によっては行政が常に適切な避難情報を出せるとは限らない
行政と共に、しかし行政だけに頼らず、正しい知識を自ら学び正しい意識を持ち
自助・近助・共助・公助で災害に強いまちになってほしいと願うばかりである
また、今回の元町土砂災害は元町のごく一部が甚大被害を受けたが、他の道路や地域はほとんど無傷である
大島の人達はみんな元気で親切な人たちである。来年1月から予定通り「椿まつり」開催も決定している
大島を支援するためにも、多くの人達が大島へ行って下さることを切に願う

末筆ながら犠牲者のご冥福と、一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます

(写真:山村/一部画像提供:気象庁・国交省・ケンプラッツ・BP社)
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