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中国5.12汶川大地震:現地調査・画像速報(2008年5月29日~6月2日:写真・文/山村)

犠牲者のご冥福と被災者に心よりお見舞い申し上げます
山村武彦
5.12汶川大地震概要
 2008年5月12日14時28分、中国四川省でM8.0の巨大内陸地震が発生。震源地は省都・成都から約90Km離れた、アバ・チベット族自治州汶川(ぶんせん)県付近で、震源の深さ19Km、震源断層は竜門山断層帯南部の250Kmにわたる断層が二段階にわたって動いたものとみられている。死者69,130人、行方不明者17,824人、負傷者374,031人、避難した人約1,514万人、被災者累計46,160,865人(2008年6月6日現在)6月27日中国国務院は、この地震を「5.12汶川大地震」と命名したと発表。「四川大地震」では四川省の観光地イメージを壊すと配慮したためと見られる。

大陸型広域大規模地震
 私は今回の四川汶川地震を独断と偏見で「大陸型広域大規模地震」に分類することにした。被災エリア規模(被災地域約10万平方㎞)、被災者規模(約4600万人)からだけででなく、毎日違う方向に猛スピードで100Kmから200Km行けば、そこは昨日とまったく異なる文化と人が被災しているのだ。それでも私が4日間回ったくらいでは震源地付近(汶川(ぶんせん)県・北川(ほくせん)県)に足を踏み入れることもできない(立ち入り禁止だが)。標高2000mから4000mの山並が各所で山体崩壊を起こしており、人工衛星でなければ全体把握ができない広域大規模災害で、すべてが大陸的スケールである。むろん、被災地と被災地の間にある地域は被害がなかったり、被害軽微だったりする。6月1日、綿陽市では約200万人を対象にした堰止め湖決壊避難訓練が行われ、同じ時間帯に同市内にある九洲体育館では北川県地区避難者に対する「国際児童節(子供の日)」イベントが華やかに開催されていた。そして、綿竹市では学校崩壊に抗議する遺族のデモがあり、北川では救援にむかったヘリが墜落している。また、崩壊したガレキ横の被災者テント前で汗だくで洗濯物を干す女性たち、その隣では豚肉をつるして大安売りだと大声を張り上げている。日常と非日常、緊張と束の間の平安、不安と諦観が混沌混在しているのも大陸的ではある。
 局所型地震や単一民族対応にしか慣れていない日本の援助隊が、救助、医療面で大陸型の大地震に十分対応できなかったのは残念だが仕方のないことだ。それでも彼らは限られた装備で任務と使命は十分全うしたし、新たな課題を提議することができたことも大きな収穫であった。世界各国が防災先進国の国際緊急援助隊に期待し要請する被災現場は、都会のビル瓦礫下の脱出困難者や限られた地域の捜索・救出活動だけではない。土砂崩壊・脆弱建造物崩壊などによる複合災害であり、広域で異なる文化や人種が混在する多様被災現場なのだ。今回の派遣活動を評価しつつ、今後は前提となるミッション、マニュアル、装備、訓練の見直しが行われるべきである。
蜀犬は陽に吠える
 劉備玄徳、諸葛孔明などが活躍した三国志の時代から「蜀犬は陽に吠える」と言われてきた。めったに太陽が拝めないため、たまに顔を見せる太陽におびえて犬が吠えるというのだが、ことほど左様に霧や曇天が続く四川盆地。とくに被災地では物理的曇天というより、四次元全体がホコリにまみれ陽の光が遮断されているように思われる。地震被災地特有のホコリとがれき処理や応急仮設住宅建設のホコリもだが、盆地ならではの風のない猛烈な蒸し暑さが被災者を苦しめている。テントはともかく、省別担当責任分担(註1)で急にピッチを上げた仮設住宅建設。向こう3カ月(オリンピック前)以内をめどにすべての被災者を収容するとしているが、この暑さにもかかわらず仮設住宅にはエアコンもない。そして、トイレは相変わらずの共同境界なし・おおらかトイレである。中国の変わった部分と、変わらない部分を具体的に知りたければ、それぞれの避難場所が誰に聞かずとも明瞭に語ってくれる。
註1、5月24日・成都で開催された被災地支援会議で、経済力のある省・特別区などに被災地域を割り振り責任分担させ復旧支援にあたる事を決定した。被害の多かった都江堰市の支援担当は経済力のある上海特別市(大手企業集団を含む)、綿陽市平武県は吉林省、汶川(ぶんせん)県は広東省、北川(ほくせん)県は山東省、徳陽市は北京市など、省や特別区に責任を分担させ競い合わせることで、応急仮設住宅の建設を急ぐ方針)
最初は政府の優しさに戸惑った被災者たち
 
オリンピックを目前としていること、直前に発生したサイクロン災害で見せたミャンマー政府の被災者ほったらかし対策が反面教師となっていること、インターネットですべての情報が駆け巡る時代背景もある。にしても、地震発生直後から被災者に対して向こう三ヶ月を目安に、食糧(米類)500g、油16g、生活費一人10元が支給されている。被災者の多くは最初本気にしなかったそうだ。しかしそれが事実だと知れると、一時渦巻いた批判は跡形もなく消え去った(それでも不満を漏らすものもいるが)。政府に命令されないボランティアが全国から馳せ参じている。「衣食足って礼節を知る」というが、一時的にせよ経済の発展が愛国心と愛国民心をも国民と政府にもたらせたようだ。その一方で、被災者の多くは今後の生活不安、やり場のない哀しみと内に秘めた怒りを内在させ、鬱々ともてあましているようにも見える。
壊れたのは家だけではない
 壊れたものは家だけでなく、見えない深いところで多くの心が傷ついている。一人っ子を失った家族の悲しみは計り知れず、幼稚園児の死を受け入れられない両親は毎日瓦礫の前に佇む。痛ましい限りである。こうした心の傷(PTSD・心的外傷後ストレス障害.)を癒すための心療内科医やカウンセラーの絶対数が不足している。また、一党独裁組織は方針を決めれば個人の意見は無視されるものだ。被害のひどい地域は強制移住や復興住宅への転居を求められている。長年レストランを経営してきたある夫婦は、30Km離れたところへ建てられる予定の復興共同住宅へ移転しなければならないという。口には出さないが、肩を落とした後姿に無念さと哀しみが満ちていた。過去の被災者支援や災害対応策に比較すれば現政権はよくやっているほうだと思う。しかし、政治的思惑だけで短期復興を目指すあまり、壊れた心をさらに傷つけることのないよう、心のケアや個人個人の希望の聞き取り調査など、一括復興ではなく個人特性への配慮がなされなければ、真の復興には結びつかない。

綿竹市・地震発生時刻(2004.5.12/14:28)を指したままの大時計
(この時計台は、震災のモニュメントして保存される)
綿竹市・見つからない家族・諦めきれない人たちは今日もがれきの前で情報を求める
ここはまだ、時間が止まったまま
いつも貧しい人たちが災害の犠牲者
地震は無情 なれど 人に情け有り・万民心を一つにして 再建復興しよう
綿竹市・倒壊した幼稚園
がれきの中に残ったアパートも「せん断破壊」で立ち入り禁止
都江堰市・崩壊した中学校校舎跡
都江堰市・崩壊した中学校校舎跡の参考書 都江堰市・崩壊した中学校校舎跡の遺品
綿竹市・倒壊した病院 綿竹市・変わり果てた我が家
綿竹市・消毒液(次亜塩素酸ナトリウム水溶液)噴霧車 綿竹市・崩壊場所の消毒部隊
この女性は、綿陽市安県黄土鎮塩井小学校副校長:何暁萌さん(34)、2階建て校舎は全壊(後方)したが
小さな揺れで160人の生徒を外へ脱出させ全員無事だった(毎月1回行っていた避難訓練が功を奏した)
ドイツから贈られた黄土鎮塩井小学校の仮設教室 黄土鎮塩井小学校・仮設教室内
青城山市・仮設中学校舎の建築が始まった 彭州市・不足している応急仮設住宅建設大車輪
青城山・入居が始まった仮設住宅・エアコンはない いたるところに避難テント村
綿竹市・4000人が住むテント村
仮設水道頼りの自炊生活
被災者には蚊取り線香と虫除けスプレーが配布されている
綿竹市・避難テント村の穴掘りトイレ(雨の日はあふれることも) 綿陽市・安県平和村テント内トイレ
青城山市・ラジオが大人気 綿竹市・自炊式避難生活
彭州市・昼寝中激しく犬が吠えて九死に一生を得たご夫婦 青城山市・被災地の青空理容店大忙し
車いすの男性は震源地に近い北川県に住む程玉甫さん(45)元々の障害者、家は全壊し下敷きになるも
車いすの隙間にいて数時間後に助け出された。後ろの二人は山東省から駆けつけたボランティア

四川地震1周年写真リポート(複写・転載禁止) 四川大地震概要