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2009年・伊豆半島東方沖群発地震

写真左上のスケッチ画、石舟の奥に描かれた左が初島、右側が手石島/初島ー手石島間で1978年に海底爆発が発生し手石海丘ができた


上記写真は伊東港から見た初島と手石島
20年前と同じ震源域(手石海丘付近)
 2009年の伊豆半島東方沖群発地震は12月17日18時45分ごろから始まり、3日たった12月19日午後11時までに体に感じる地震が235回発生している。その間、震度5弱が2回、震度4が17回が観測された。その後も震度3前後の地震が続いている。最大マグニチュードは5.3.震源地はいずれも伊東沖・北緯35度、東経139.1度で発生しており、「ごく浅い」震源の深さで発生している。
 これは1989年の伊豆東方沖地震と酷似している。そのときは6月から群発地震が始まり、7月9日にはM5.5の地震が発生し21人が負傷した。同日、海上保安庁は測量船「明洋」のソナーによる震源域の海底地形調査を実施するものの、特別な異常は発見されなかったが、11日までに低周波地震、火山性微動が観測されるようになる。 そして、7月13日、今度は測量船「拓洋」が海底地形調査を実施。「拓洋」は手石島北2Kmの海底にある比高25m(海面下66m直径450mのほぼ円錐形をした海丘を発見する。そして7月13日18時33分、つい先ほど発見したばかりの海丘と同位置で海底噴火(下の画像)が発生する。そのときの噴火は水蒸気爆発のごく小規模な噴火であったため「拓洋」をはじめ付近に一切の被害はなかった。その後、この海丘は手石海丘と呼ばれるようになる。
 手石海丘の位置は北緯35度、東経139。1度にあり、今回の群発地震の震源地とほぼ同じ場所、上記写真の初島ー手石島間(少し手石島寄り)の北側である。

1989年の海底噴火(提供:海上保安庁)

火山性群発地震
 今回(2009年)の群発地震も前回(1989年)と同じように、火山性群発地震と推定されている。伊豆半島東部の伊東周辺は北側に湯河原火山、多賀火山、宇佐美火山があり南側に天子火山、天城火山などの東伊豆単成火山群、そして伊東沖から伊豆大島にかけて東伊豆海底火山群がある。頻繁に発生する火山性群発地震は地表近くに上昇したマグマが地殻の割れ目に入り込み、その圧力で地殻が破壊されるときに発生するといわれる。
伊東の被害は軽微
 群発地震が発生して3日目の2009年12月19日、私は震度5弱などの群発地震に見舞われている伊東を中心に現地を回った。震度5弱程度の揺れのため、伊東市内は平穏で表面上被害は見受けられない。時折、ドンと下から突き上げるような地震は1〜3秒程度の揺れですぐに収まる。市民は地震慣れしていてあわてて対応する人は少ない。住宅などの損壊はわずかで、室内で棚のものが落下する程度で被害は軽微ではあるが、一部店舗やホテルではガラスが割れたりスプリンクラー消火設備が損壊し店内が水浸しになったものなどがあった。20日以降は地震回数も減ってきている。


12月17日、18日と震度5弱の揺れが観測された(日本気象協会HP)


津波はなかった



消防用設備の耐震強化が必要
 伊東市郊外にあるスーパーマーケット「アピタ」では、地震によりスプリンクラー消火設備が損壊し店内の一部が水浸しになった。この水がエスカレータ設備に流れ込み一時使用不能になった。スプリンクラー消火設備の損壊による水損被害はほかのホテルでも発生していて、こうしたいざという時に頼りになるはずの消防用設備が震度5弱で損壊したことに私は強い懸念を覚える。過去発生した地震でも各地で消火栓、スプリンクラー消火設備の損壊を見てきた。地震後万一火災が発生したら本来の役割を果たすことができない。地震列島日本における消防用設備の耐震性を強化すべきである。消防法・技術基準の改定が焦眉の急である。

 伊東市の高台に位置するお好み焼き店「八ちゃん」は、飲料水用受水槽の配管が地震で損壊し一時休業した

車のショールーム・ウインドウのガラスが割れ、応急にベニヤ板が張られている

土曜日の昼、群発地震の影響か駅前の商店街に人通りは少ない(12月19日)

 前回(1989年)の群発地震のときは夏休み中だったが、風評被害により伊豆のホテル旅館のキャンセルが相次いだ。今回はほとんど実害はないので、キャンセルなどの必要はないと思われる。伊東では観光客のために毎日のように朝市も元気に開催されている。