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平成16年(2004年)新潟県中越地震(2004年10月23日午後5時56分・M6.8) |
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母の強い願いと行政連携がもたらせた「長岡の奇跡」 10月27日午後、行方不明になっていた新潟県小出町の主婦皆川貴子さん(39)ら母子3人のうち、長男の優太君(2)が東京消防庁のハイバーレスキュー隊や緊急消防援助隊の長野隊、山梨隊、新潟隊、警察の広域緊急援助隊、土木研究所員、自衛隊医官など多くの人たちの協力によって救出された。救出されたのは地震発生から4日(92時間)ぶりで長岡市妙見町・旧17号線の土砂崩れ現場のワゴン車と岩の小さな隙間だった。一時は三人無事を伝えられたが、残念ながらその後お母さんの貴子さんは遺体で収容され、長女の真優さん(3)は死亡が確認された。 優太君が救出されたとき、私は現地調査で小千谷市総合体育館にいた。テレビで救出が伝えられると、避難者から一斉に歓声と拍手が沸き起こった。優太君救出の報せは疲労の濃い被災地に大きな希望と勇気を与え、久しぶりに明るいニュースが一陣の風となって吹き抜けた。それは、縦割りの枠を見事に超えた、各行政チームの連係プレーの勝利でもあった。 その時私は「ジョエルマの奇跡」を思い出していた。1974年2月、ブラジル・サンパウロ市・25階建てのジョエルマ・ビル12階で火災が発生した。火はまたたく間に上階を炎と煙に包み込んだ。多くの人々が逃げ場を失い次々と飛び降り、命を落としていった。その時、15階では若い母親が3歳の息子を抱いたまま迫る炎と煙に途方にくれていた。絶体絶命の窮地に陥った母は、周囲のカーテンを引きちぎり息子に巻きつけ、意を決して猛火と煙の中を、息子と共に窓から身を躍らせた。時速100Km/hに及ぶ加速度だと、普通は息子を抱き続けることはできない。しかし、その母は最後まで息子を離さず抱きしめ続けた。そのまま地上に激突し、母は即死した。しかし、息子は母親の身体がクッションになって怪我ひとつしなかった。「この子だけは助けたい」という母の強い思いが生んだ奇跡として「ジョエルマの奇跡」とよばれるようになる。 私は2400人が避難している小千谷綜合体育館から移動し、妙見の現場に近い信濃川対岸で救出活動を見守った。川を隔て約150m先にオレンジ色の服を着た東京消防庁のレスキュー隊員5〜6人が急斜面に見える。高さ50mほどの崖の中腹を通っていた道路は、膨大な土砂と岩石で路盤ごと信濃川に落ちていた。白いガードレールがひしゃげ、一部は川の三分の一まで岩石と共に崩落している。周辺で山肌が崩れ赤土が露出した場所が散見できるが、母子三人が遭難した一角だけが黒く見える。そこだけは土ではなく岩石の崩壊を物語っていた。 ここ妙見という場所は、司馬遼太郎先生の「峠」に出てくる長岡戊辰戦争で戦場となった朝日山、榎峠に隣接した場所である。妙見とは、古い仏典・大蔵経で「諸法の実相を知見し、衆生界に向かって難思の妙用を垂るるが故に妙見という」と、妙見菩薩のご利益が説かれる妙見である。そして、テレビ局各社が中継車を繰り出しカメラの放列を敷いた信濃川左岸は、三仏生(さぶっしょう)という地名、後ろの高台は三仏生遺跡とよばれる縄文時代後期の遺跡のあるところ。両地名ともに、三人の命を守る人知の及ばぬ力が働いているように思われた。 夕闇が迫る中、願い空しく貴子さんの遺体が東京消防庁の赤いヘリに収容された。ヘリに手を合わせながら私は心の中で貴子さんに呼びかけた。「辛かったでしょう、無念だったでしょう、でもあなたは最後までよく頑張った。そして、あなたの強い願いがついに奇跡を起こしたのです。あなたが命がけで守り抜いた優太君は、きっとあなたと真優さんの分までお父さんを支え、幸せに強く生き抜いていくことは間違いありません。もう大丈夫、真優さんと安らかにお眠りください」と・・・優太君92時間ぶりの救出は「長岡の奇跡」として永く災害史を飾り、思い起こす人々の胸を熱くさせ勇気を奮い立たせることだろう。そして、夜を徹し、危険を冒し困難な救助にあたった救助隊員と、それをサポートし続けた警察・消防・自衛隊・土木研究所の諸君に対し、心からの敬意を込め、その崇高で高潔な使命遂行を称えたい。防災アドバイザー山村武彦 特異な災害に見舞われた中越。対策は配慮が必要 今回の新潟中越地震は、単なる地震災害だけでなく三つの災害に同時に見舞われたのである。三つの災害とは「極めて浅い直下型地震災害」「土砂崩落災害と水害」「群発余震災害」。発災場所は、越後山脈に連なる山間部と信濃川流域の越後平野部との境目。山間部は浅い地震特有の衝撃の強い揺れで土砂災害を誘発させ、地震発生前の台風等で緩んでいた地盤は少しの雨と余震で更に崩壊、河川をせき止め、水没被害を増大させた。主な崩落箇所だけでも1,500ヶ所を超えている事だけ見ても、従来の地震災害と比べ特異な地震災害である。そして、震度5〜6の強い度重なる余震。これらは余震というより、ほとんど群発地震災害である。こうした特異な災害にもかかわらず、過去の災害対策を下敷きにした救援、復興対策で対応しているようにみえる。 例えば、阪神・淡路大震災を経験した人や防災関係機関は、その災害の教訓を生かそうとする。しかし、私は40年間、災害現地調査を100箇所以上実施してきて、ひとつの災害の教訓が全ての災害に適用できないということを知っている。どの災害にも多少の共通部分はあるが、災害ごとに、地域ごとに、みなその特性や必要とされる対策は全く異なるものである。それを認識した上で、救援、復興支援などにあたらないと、被災地や被災者は災害と同時に、お仕着せ対策によるフラストレーションに苛まれることになる。それが、被災者のストレスを助長してしまう。今回の中越地震は、災害特性、地域特性、住民気質などを勘案し、人道的配慮を欠かさない対策が求められている。 「緊急情報」の死角 1、防災無線と震度計 「山古志村の防災無線が壊れて使えなかったそうですね」「台風で洪水警報を伝えられなかったのは防災無線の機能が発揮できなかったのでは」なとど防災無線についての質問を多く受ける。 市民やマスコミは各々違う用途のの防災無線をひとつに混同しているように見えるが、防災無線には様々な用途と種類があるのだ。今回の地震で山古志村で使用できなかった防災無線は「都道府県防災行政無線」といわれるもので、市町村と都道府県を通信衛星回線を介して結ぶものであった。本来であれば衛星通信だから非常時でも使用できるはずであった。しかし、回線は問題なかったが、役場に設置してあった送信装置そのものが強烈な地震動で破壊されてしまったのである。送信装置の耐震性、設置場所、設置方法への配慮が欠けていたのかもしれない。それは川口町でも同じだった。町役場宿直室に設置されていた震度計は、計測震度では始めて震度7を記録していたのに、停電のため気象庁に送れず、地震発生後6日目にしてやっと判明するという事態となった。非常電源が付いてなかったのである。せっかく阪神・淡路大震災を教訓にして設置された非常用機器、緊急通信機器も、耐震性、バックアップ電源が無ければ機能しないという初歩的な教訓が生かされていなかった。阪神・淡路大震災では神戸海洋気象台の通信機器などが破損し震度情報がすぐに届かず、初動対応が遅れた苦い経験があったのにである。こうした安全の死角を担当者や行政職員は気づかないことが多い。客観的、多角的に見る「第三者の眼」が欠かせない。 2、携帯電話過信 日本全国携帯電話が使用可能といっても、通信中継所が破壊されれてしまえばただの玩具でしかない。今回「情報の孤立」が発生した中越地区ではほとんどの中継用ハンザマスト(アンテナ)は山間部に建っていて、耐震性はあまり無く土砂災害などでも崩壊するものである。長岡市内の平地に建っていたハンザマストが根元からぽっきり折れていたのを見たが、ポールそのものも耐震性の配慮に欠けていたものと思われる。防災無線などが使えなくとも、携帯電話で連絡は取れると関係者はたかをくくっていた節があるが、そこには防災のセオリーである「最悪に備える」という観点が欠けている。携帯電話依存・過信は、情報社会の「安全の死角」を助長しているように見える。 3、発災時における情報伝達の決め手「情報が出てこないのが情報」 被災地から情報発信ができないのが大災害の常である。そこで、発災時における情報連絡・伝達に欠かせないのは「安全情報」の発信である。大きな揺れを感じた地域では被害情報だけを発信するのではなく、「被害なし情報」を発信すべきである。その情報を地図上に反映させ、情報の発信されてこない地域を割り出す。その地域こそ被災地域と洞察すべきである。1995年1月17日の阪神大震災発生時、私は大阪の天王寺のホテルにいた。5時46分、下から突き上げる揺れで目を覚まし、携帯ラジオのスイッチを入れた。淡路島北端部が震源にもかかわらず、最初の地震速報で神戸の震度が伝えられなかった。それを聞いて私はとっさに「神戸がやられた」と判断をしたのである。「情報が出ないのも情報」と思わなくてはならない。そして、情報の出てこない地域については、様々な手段(ヘリや偵察隊)で集中して情報収集にあたるべきである。災害時における被災情報は情報確認と同時に、情報孤立地帯を防ぐには外部から情報を取りに出向くことが応急救援のセオリーである。 4、携帯電話は通じなかったがIモードの「災害用伝言板」は使えた 10月27日、私は長岡から小千谷に向かう渋滞の車中にいた。10時20分ごろ国道17号線に差し掛かかったころ、いきなり下からの強い衝撃を感じた。これは後からラジオで「震度6t弱」を記録した余震だと知る。左右の家々から人が道路に飛び出し、電柱が左右に大きく揺れた。道路わきの石垣が崩れ道路にガラガラと転がった。被災地で本当に携帯電話がとうなるのか試してみることにした。何度かけても話中の信号が聞こえるだけで、たまに掛かったなと思うと「現在この地域の電話は掛かりにくくなっています。安否確認は災害伝言ダイヤルでおかけ直しください」のメッセージが流れる。そこで、171の災害伝言ダイヤルにかけなおすが、これもお話中の信号である。次にIモードにつなぐと、あっさりつながった「マイメニュー」から「災害用伝言板」を選択して安否を登録した。念のためにもう一度Iモードにかけると、また簡単に接続された。NTTドコモのいうように「災害用伝言板」は被災地で災害直後でも健在だった。ラジオでは「現在新潟地方の携帯電話は掛かりにくくなっています」と伝えていた。 安否確認はIモードがベストかもしれない。 要援護者を安心して眠れる場所に移すべき 震源の浅い地震は余震が多いというのは定説だが、それにしても震度5〜6クラスの余震が毎日のように襲っている。27日の震度6弱の地震は私も経験した。自分の足下を突然大ハンマーでひっぱたかれたような衝撃であった。こんな強い衝撃や恐怖におびえながら高齢者、幼児、女性たちは毎日過ごしていると思うと慄然とする。孤立した山古志村民2,200人も全員避難したが、なんとその避難先は強い揺れが続くライフラインの途絶えた長岡であった。10月26日〜28日まで現地調査を行ったが、避難者たちのストレスはもはや限界に達している。そして、被災地における市町村職員も疲労の色が濃い。こうした状況を放置すれば、今後さらにショック死、ストレス死、エコノミーククラス症候群死が増加する。 それにしても、ショック死とストレス死が全体の半数を占めるというのは尋常ではない。せっかく地震で生き延びた人が、その後の余震で死んでいくのである。 気象庁はさらに数多く大きな余震の発生する確率が高まっていると発表しているのだから、犠牲者が出ることは容易に想定できたはずである。 こうした要援護者を強い余震の続く避難所になぜ放置しておくのだろうか。高齢者、傷病者、幼児、女性はゆっくり眠れる被災地の外へ移すべきではないか。PTSD"Post-traumatic Stress Disorder"(心的外傷後ストレス障害)などにかかりやすい人たちをこのまま放置していいのだろうか。アメリカならば、水や食料と共にカウンセラーを送り込み、「FEMA(連邦緊急事態管理庁)」安全な場所に避難させていることだろう。FEMAは、フロリダで大型ハリケーン上陸が想定された時、200万人の市民わずか12時間で安全な場所に避難させた実績もある。それを可能とさせたのは、非常事態に際して全ての省庁や陸海空の防災部隊を指揮下に置くことができる危機管理指揮命令系統が一元化されているところにある。日本のように首相直轄のタスクフォースがなく、災害発生時でも自衛隊、消防、警察、総務省、国土交通省など縦割り行政の弊害が払拭できないからである。今こそ総理大臣直轄・一元化した危機管理のプロ集団を組織化し常設すべきである。 |平成16年新潟県中越地震概要|平成16年台風23号災害|防災・危機管理講座CD| |
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新幹線の安全性が再確認された 新幹線事業は、1964年10月1日に東海道新幹線が開業してから40年目を迎えた。1964年は奇しくも新潟地震(M7.5・死者29名)発生の年でもある。両40年目にして新潟県中越地震が発生し、上越新幹線は開業以来初の脱線事故を発生させた。 上越新幹線「とき325号」は長岡市のトンネルを出たほぼ直線高架上で地震に襲われ、急ブレーキがかかり脱線し、一部窓にひびが入って止まった。幸い死傷者はなく、乗客は6時間後に徒歩で約7Km先の長岡駅に無事到着した。この脱線事故についてロイター通信などからコメントを求められた。私のコメントは記者たちの期待を裏切ったもののようだった。彼らは「新幹線安全神話の終焉」のコメントを望んでいたようだが、私は「新幹線の安全性は再確認された」と述べた。その理由は、これまで40年間無事故であったことに加えて、これほどの大きな揺れであったのに時速200Kmでの走行中にもかかわらず、脱線はしたものの死傷者を出さずに止まったのは、それらを想定した安全技術の高さを証明したと思う。 10月25日、独立行政法人防災科学技術研究所は、震源地に近い小千谷観測点(K−NET)で、最大1,500ガル・130カイン(垂直、水平三成分の合成値)を超える震動を観測したと発表した。十日町市の観測点では、最高加速度1,750ガル、65.6カインが観測されている。K-NETというのは、全国に25Km間隔で設置された強震観測施設のこと。また、ガルとカインを詳しく説明すると、「カイン」は速度を毎秒センチメートルで表した単位。「ガル」は、毎秒のカインの変化を表す加速度の単位。例えば物が落下するときの加速度は、980ガル(毎秒毎秒9.80m)。阪神・淡路大震災では、神戸海洋気象台で891ガル、112カインが観測された。 つまり今回の揺れは、加速度的には阪神・淡路大震災をしのぐ揺れであった。そして、地球の重力(980ガル)をも超えたということは、置いてある物体が宙に浮くということである。 物体が浮くようなかつてない強い揺れに見舞われたにもかかわらず、上越新幹線は横倒しにもならず脱線だけで済んだ。中越地区走行中の他の新幹線は、脱線もせずきちんと停車することができたのは驚異的ですらある。こうした状況を勘案すると、私は「新幹線の技術力の高さ、安全性の高さは天下一品」と思う。新幹線安全神話はこの地震によって改めて再確認されたといえる。 |
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撮影:山村武彦(無断使用・転載・転用・複製等は厳禁) |
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