東日本大震災阪神・淡路大震災防災システム研究所現地調査写真レポート

ネパール地震(Nepal EarthQuake 2015)
現地調査(2015.4.30~5.4)・写真レポート/撮影・文:山村武彦
2015年4月25日現地時間午前11時56分、ネパールで地震発生
震源地:首都カトマンズ西方約77㎞(ガンダキ県ゴルカ郡サウラバニ付近)
この地域はヒマラヤ山脈南縁からインド亜大陸を含むインドプレートが
ユーラシアプレートに衝突・沈み込む収束型境界付近で、過去にも地震が発生している
震源の深さ:約15㎞、地震の規模を示すマグニチュード:7.8(Mw)
出典:米国地質調査所(USGS)・Map:チャンネルニュースアジア(Channelnewsasia)
この地震による死者:8,964人、負傷者:15,269人、住宅:多数損壊、雪崩、土砂災害多数発生

ネパール以外でもインド78人、、中国25人、、バンクラデシュ4人の死者を出した
地震によりエベレストで雪崩が発生し5300m附近のベースキャンプで多数の死傷者がでている
日本人登山客男女2名が雪崩に巻き込まれ、男性が死亡女性が負傷した
ヒマラヤの美しい谷(ランタン村)でも地震による土砂崩れで村が埋まり、甚大被害を出した

さらに5月12日0時50分、カトマンズの北東約76㎞離れたコダリ付近を震源とする地震発生
震源の深さ:約15㎞、地震の規模を示すマグニチュード:7.3(Mw)
この地震でネパール、インドなどで約75人が死亡、約1200人が負傷
この地震は4月25日の地震の余震とみられている
一連の地震による死者は、ネパールを中心にインド、中国を含め8,300人以上
カトマンズ盆地と主な調査地(赤丸)
ヒマラヤが見えるカトマンズは海抜1330mで周囲を8000m級の山に囲まれた盆地
カトマンズとその周辺都市は、数千年前までは湖だった堆積・沖積層の地盤
ビハール・ネパール地震(1934年・M8.1)はインドとの国境付近が震源だったが
カトマンズでは、建造物の半数以上が全半壊し、ダルバール広場(王宮広場)のダラハラ塔も倒壊
地震後、再建されたが今回の地震によって再度倒壊した(建物の非耐震性と地盤の弱さ?)

世界遺産・カトマンズ ダラハラ塔
(9階建ての塔(下の写真)が崩壊、入場者など多数の死者を出した)

ダラハラ塔/左が1934年の地震前、右が2015年の地震前


カトマンズ・ダルバール広場に面した旧王宮も損壊


カトマンズの東12㎞の古都バクタプル・崩壊した仏教寺院 


バクタプル、トマティー広場のニャタボラ寺院は無事
(五重の塔は地震に強い?)


バクタプルの王宮も無事

 
カトマンズから東へ6㎞ボダナード・ネパール最大のストゥーバ(仏塔)/被害なし

レンガと木材でつくられた家に被害集中

カトマンズ市内のレンガ建てでも壊れていない建物も多い
(地域、地盤、設計・施工によるものか、一律にレンガ建てが弱いとは言えないのかも)

応急危険度判定を知らせる(赤は危険、白は注意、緑は安全)
下の家は赤い紙(危険・立ち入り禁止)が貼られている




 カトマンズへの一極集中で密集地帯が多く、救助活動は困難を極めた

 カトマンズ・重機の先の倒壊したゲストハウスの下に閉じ込められていた少年を
アメリカの救助隊とネパールの武装警察が協力して救助に成功した(上の写真)
助け出された少年(Pemba Lamaさん・15歳)は崩れた簡易宿泊所でアルバイト中だった
雨の浸み込んだ衣服を絞って飲んだり近くにあった瓶2本のギー(バターオイル)で飢えをしのいだ
上半身周辺に隙間があったこと、雨が降ったこと、少年の冷静な行動が120時間生存要因か
助け出されたとき、記者たちのインタビューに答えるなど驚くほど元気だった
この施設の約80m先の宿泊施設でも128時間ぶりに24歳の女性が救出された

「地震から1週間、がれきの下に生存者がいる可能性はもうない」と
ネパール外務省報道官がAFPに答えたあと、ほどなく2人が救助された
カトマンズの気温は地震後20℃前後、湿度は70~80%、毎日スコールのような降雨
それに生存空間が重なれば生存確率は高い
「72時間の壁」は一つの目安でしかない、環境や条件によって生存率は大きく変わる

生存者発見の報に集まった市民たち




生存者の見込みのない現場と判断すると、通り過ぎていく救助隊もいる
しかし、家族や知人は決して諦めず捜索を続けている

助け出されたが、すでに亡くなっていた10代の少年(白布)

軍だけに任せず、家族も救助に参加

日本の国際緊急援助隊・救助チーム70名(カトマンズから約20㎞東のサキー・Saukhu)
今回は救助犬のハッシュ号(シェパード5歳)とセブン号(ラブラドールレトリーバー4歳)も出動
「生存見込みのない現場でも日本の救助隊は捜索してくれる」と市民から評価が高い

受け入れ側のオペレーション不備などにより、当初は持参した救助機材が届かず苦戦
しかし、隊員たちの士気は高く、バケツや洗面器などで必死の捜索活動を行う
生存者救出はできなかったが、彼らは国際貢献の使命を十分に果たしていた
被災家族が「日本の救助隊員たちはまったく休まないで、頑張ってくれている」と涙していた
ODAも大切だが、発災時の迅速果敢な対応こそ、国家イメージのインパクトは強く残る
鉦や太鼓で素晴らしさを訴えるより、日本の救助隊員の背中を見てもらうほうが確実
こうした、救助チームが活動しやすいように、平時の調査、情報サポート、搬送システムなど
今後各国に後れを取らぬよう緊急サポートチームなどの充実・整備が望まれる
悪条件下でもあきらめず24時間体制で救助活動を行う

地震発生後、安倍首相と岸田外務大臣は直ちににネパール政府に電報を打ち
お見舞いと救援の準備ができていることを伝えた
政府要請を受け24時間以内に出動体制にある救助チームは翌日出発した
しかし、受け入れ混乱により現地到着が予定より約2日遅れることになる
各国の救助隊が生存者のいる可能性のある現場に先着活動する中
日本の救助チームは28日に現地入りしたあと、ネパール軍や警察を支援する形で救助活動を開始
しかし、日本から持参した捜索・救出資機材は税関などの混乱ですぐには届かなかった
世界遺産登録のカトマンズ市・旧王宮近くのクリシュマナンディール寺院で必死に捜索を行った
活動中1名の要救助者を発見したが、その後死亡が確認された
その後、現地要望を受けバクタプルで活動を続けた
どんな状況(困難)であっても、被災者の身になって使命を果たすのが日本の救助隊
国際緊急援助隊・救助チームリーダー・外務省国際緊急援助官 小林成信氏
(ちなみに、隊員たちは交代で作業に当たるが、団長・副団長に交代時間はない)

自衛隊医療チーム先遣隊80名もカトマンズ市内の公園で活動開始(2015年5月1日)

米国は100万ドル(約1億1900万円)の緊急支援と捜索・救助チーム派遣
ドイツは52人、フランスは11人の救助隊を派遣
オーストラリアは500万豪ドル(約4億6000万円)、韓国100万ドル、台湾30万ドル

日本は第一陣救助チーム70名派遣と2500万円相当物資提供するなど
各国とともに開発途上国ネパールのプライドにも配慮し抑制した布陣で対応

ところがインドと中国は突出し、人命救助というより熾烈な支援競争の様相を呈している
中国は300人の救助隊派遣と1000万ドル(約12億円)支援を約束
一方インドは、モディ首相が「すべてのネパール人の涙をぬぐう」とコメント
インドは地震発生当日に軍の大型輸送機により450人と大量の物資を投入
空軍兵士だけで950人の第一陣派遣と400トンを超える援助物資を各地にヘリで投下

インドのモディ首相は2014年5月就任以来、ネパールへの影響力拡大を明言しているが
中国はネパールのインフラ支援に多額の援助を行い道路、橋、発電所、通信施設などだけでなく
将来はエベレストにトンネルをつくり中国とネパールを結ぶ鉄道計画を発表
中国はネパールだけでなく、パキスタン、スリランカなどインド周辺国との経済協力攻勢をかけ
この地域における中国の存在感が急激に増していて、インドは警戒を強めている
中国の被災者用テントが目立つ
バクタプル・ダルバール広場(Durbar Square)世界遺産エリア内に中国国旗
(ダルバールとは王宮)


120時間ぶりに15歳の少年が救出された現場でドローン
今回、災害現場各所で大小さまざまなドローン(小型無人航空機)が使用された
救助隊などでも一部使用されたが、多くはマスコミからの依頼だという
ただ、捜索隊やそれを見守る人たちが多数いるなかでの使用は、安全確保ルールが必要
災害直後、被害状況の早期把握に「被害偵察ドローン」は重要な役割を果たす
国としてのルール作りと、実践的訓練が必要となる

 
 ARANKO HIGH WAYのカトマンズから約5㎞地点で
幹線と並行して走る側道に段差が生じていた
(地元の人の話では、地鳴りと共に約1.2mの段差ができ、向かって右側に数mずれたという)

 
日本のODAでつくられた道路も一部損壊(センタラインが右にずれている)
(カトマンズとバクタプルを結ぶARANKO HIGH WAY・2011年竣工) 
その道路に架かる横断歩道橋も階段ごと右へ約40cmずれた
 
フェンスごと歩道橋上部のコンクリートがずれ、下の道路が見えている
 
 右側車線が最大約2.5m右へずれた

一部道路にも深い亀裂(移動や輸送には影響する道路は一部にすぎない)

カトマンズ空港に届いた各国からの救援物資
(オペレーションの不備などで当初は混乱というが・・・)
ネパールの桜と言われるジャカランダの花と避難テント村
海抜1330mのカトマンズは、晴れると日中28℃を超え、テント内はサウナ状態
わずかなテントの陰に身を寄せる被災家族たち
ミネラルウォーターと食料が少し配給になった
支援してくれるのなら、政府ではなく直接被災者に届くように送ってほしいという
どこの避難場所でも被災者は政府への不信感を訴える

 家族でつくったというテントをのぞくと、「ナマステ!」と声をかけて来る
このテントで約20人が寝ているとのこと
もっと大きな地震が来るというデマが、カトマンズ市内のあちこちで囁かれていて
壊れていない家でも、いつでも飛びだせるように洋服を着たまま寝ている人が多い


 10畳ほどのスペースに30人が避難している

全てはペットボトルの水が頼り


写真レポートその2/ネパールで見た「チョク」と「互近助」 

救援物資が届くと聞いて4時間待っているという

 いつでもどこでもマスクが必需品
布マスクは10円から15円で販売されている
地震にへこたれない子供たち

犠牲者のご冥福と一日も早い復興復旧を心よりお祈り申し上げます 

下記写真レポートもご参照ください
写真レポートその2/ネパールで見た「チョク」と「互近助」
写真レポートその3/地震国でなぜレンガ造りなのか
写真レポートその4/カトマンズ・バクタプル周辺風景

リンクはフリーですが、画像等の無断転載はご遠慮願います