その2、レイテ島タクロバンその3、レイテ島オルモック・パロその4、ボホール島地震その他現地調査写真レポート

2013年フィリピン台風30号災害 現地調査写真レポート/山村武彦
その1「サマール島・ギワンの奇跡」

★現地調査実施日/12月17日〜12月24日
★主な調査地域/
☆サマール島(台風が勢力を保ったまま最初に上陸した東サマール州ギワン市等)
☆レイテ島(タクロバン市パロ市・オルモック市等)
ボホール島(2013年10月15日・M7.2地震発生地、イナバンガ・アノマン地区等)

★2013年台風30号・上陸時の最大瞬間風速105メートル
 2013年台風30号(フィリピン名Yolanda)は、11月4日午前9時(協定世界時間11月4日0時)に北緯6度05分、東経152度10分のトラック諸島近海で発生した台風である。当初の中心気圧は1002ヘクトパスカル(hPa)だったが5日には952hPaと発達しながらパラオ諸島を経由してフィリピン領域に入った。6日21時には905hPaとなり中心付近の風速60m/s、最大瞬間風速85m/sの「超猛烈な台風」となってフィリピン海を西北西に進んだ。
 7日21時には更に中心気圧は895hPaに達し、中心付近の風速65m/s・最大瞬間風速90m/sという観測史上例を見ない勢力を保ったまま現地時間8日午前4時40分(日本時間午前5時40分)頃フィリピン中部サマール島・東サマール州ギワン市附近に上陸。上陸時点の勢力は最大風速87.5m/s、最大瞬間風速105m/s(合同台風警報センター)と推定されている。その後サマール島、レイテ島、バナイ島とフィリピン中部のヴィサヤ諸島を横断し南シナ海からスールー海へ抜け、ベトナムトンキン湾を経由しベトナム北部・クアンニン省に上陸し、中国華南地方に達した。
★上陸後も勢力は弱まらず、フィリピン中部・ヴィサヤ諸島を蹂躙
 この台風は従来の台風のように上陸後勢力が弱まることなく、およそ900hPaの勢力を約1日半以上保ったままヴィサヤ諸島を蹂躙。そのため島々は平均60m/s以上という竜巻に匹敵する長時間(平均3時間)強風にさらされ被害を拡大させた。とくに湾の最奥部に向かって吹き寄せる強風(吹き寄せ効果等)によってサマール島、レイテ島タクロバンなど広い範囲で津波のような2〜6mの高潮が海岸から最大500m以上内陸にまで押し寄せ甚大被害を引き起こした。
★危険情報は正しく繰り返し発信された。しかし、危機感を喚起できなかった
 テレビ・ラジオ・新聞などは上陸3日前から巨大台風の強風と高潮について繰り返し警告し続けていたが、住民たちの危機感を喚起することはできず、避難しなかった人が高潮や強風で命を落とした。とくに問題だったのは高潮についてである。タガログ語、ヴィサヤ語、ワライ語などの現地語には高潮を意味する言葉がなく、事前にマスメディアや行政などの関係者は英語のストーム・サージ(storm surge)をそのまま使用し警告したため、危険性が十分伝わらなかった(危険性を伝えることに成功したギワン市は除く)。そうした不十分な避難情報と言葉の壁や住民の災害に対する意識の低さが被害を拡大させたともいわれる。現地で取材していて「最初からTHUNAMIが来るといわれていれば、避難したのに・・・」という人もいた。
 もともとこの地域は台風慣れしているため、スーパー台風接近注意と言われても、それも正常の範囲としか認識できない「正常の偏見・正常性バイアス」が働いたようにも思われる。その結果、高潮と強風により死者・行方不明7,888人、負傷者28,626人、全壊建物55万棟、被災者967万人の大災害となった。
★ギワン(Guiuan)の奇跡
 11月8日午前4時40分、台風30号がフィリピンで最初に上陸したサマール島南東端の東サマール州ギワン市(Guiuan city・人口約47,000人)。このまちは最大瞬間風速105m/sという竜巻のような猛烈な強風に3時間以上さらされ、住宅の約90%が破壊されてしまったにもかかわらず、人的被害を最小限(死者87人、行方不明23人、負傷者931人)にとどめることに成功した。タクロバンなどでは住民に危機感が伝わらず多くの犠牲者を出したが、ギワンの奇跡はなぜ起きたか、どうやって住民を早期事前避難させることができたのか。さらに、略奪を最小限に抑えた市長の決断と命令とは何か。
 クリストファー・ゴンザレス市長(Christopher”Sheen”Gonzales)と市民たちに直接会って話を聞くため、私はタクロバン(レイテ島)から車で約4時間かけてギワン市(サマール島)に向かった。途中、サマールの町々で見かける吹き飛ばされ流された多数の家、見渡す限り無残に折れた椰子の林や山々。サマール島はタクロバンほどの高潮被害は少ないものの、風の強さはタクロバンよりも数段激しかったことを物語っていた。







残されたのは基礎だけという家が多い(東サマール州・ギワン市)

屋根が飛ばされ、壁が壊れ、ガラスが割れた ギワン市警察署の朝礼(署員約30名)

飛ばされた消防車

鉄筋入りブロック積みの家も破壊された


強風で建物は破壊され、基礎しか残っていないスーパーマーケット跡







屋根と壁が損壊したギワン市役所

ゴンザレス ギワン市長の執務室があった2階(壁と屋根がない)

ゴンザレス ギワン市長(33歳)と筆者(左)

★自身の車も家も飛ばされたゴンザレス ギワン市長(33歳)に話を聞いた
 超大型台風襲来の報を受け、ただちに市は非常体制に入った。幹部を集め対策を協議、台風が到達する3日前(11月5日)から市民に早期避難を呼び掛け始めた。しかし、この地域も台風慣れしていて市民には危機感を共有してもらうことは到底困難だった。それを聞いたゴンザレス市長と市の職員は、このままでは多数の犠牲者を出すことになると判断。そこで市長は、それまで言っていた「超大型台風が来るから避難して下さい」という言葉を変えて「delubyoがやってくるから、シェルターに避難せよ」と断固たる言葉と姿勢で、警察、消防、市職員を動員し市民を半強制的に避難させることを決断。
 「delubyo」(デルビヨ)とは、ハルマゲドン(最終戦争・終末決戦など)と同意語で、これ以上恐ろしいことはないほどの台風が来る、もしかしたらこの世の終わりかもしれないという危機感を表したもので、市長、職員が必死になってこの台風の恐ろしさを伝えた。その結果、台風襲来(8日午前4時40分ごろ)前日には市民の約80%がシェルターに避難完了。避難しなかった残り約20%の市民も猛烈な強風が吹き出し、市長の言うとおりこれはいつもの台風と違うと思い直して大部分(約98%)が家が吹き飛ばされる前に避難を完了したのである。
 8日午前4時40分台風は一番勢力の高いままギワン市付近に上陸。3時間以上にわたり風速90m以上の竜巻のような強風がギワンを吹き荒れた。市民の一人は「長時間爆弾が破裂していたような音が轟き、本当にこの世の終わりだと思った」と述懐している。市内の住宅のうち約90%が損壊したが、教会や学校など市が指定したシェルターに早期事前避難したことにより人的被害を最小限にとどめることができたという。
 ただ、せっかく避難したシェルターが壊されて犠牲になった人がいたことに「もっと頑丈なシェルターを造っていなかったのは行政の責任」と市長は顔を曇らせた。
★機能した地域コミュニティ
 市長や市の職員の危機感を共有し早期事前避難を成功に導いた陰に、地域コミュニティ・バランガイの活躍があった。バランガイ(タガログ語・Baramgaus)とは、日本でいう連合自治会規模の村(最少行政区画)でフィリピン全土で約42,000のバランガイがある。ギワン市には60のバランガイが地域ブロック(昔の部族、教区や学校区)ごとに構成されている。バランガイのリーダーは地区から選ばれた理事(8〜10人)の選挙で選出される。普通はその下に「シティオ」という単地区ごとの自治会または向こう三軒両隣の隣組のように最少コミュニテイがあって、それがバランガイを末端で支えている。
 もともとこの地域は、貧しい人たちが多く住む地域ではあるが表情を見ると子供も大人も屈託のない明るさで、心の豊かさを感じさせる。普段のシティオや隣近所の付き合いについて聞いてみた。すると、お金、お米、味噌醤油の貸し借りは当たり前で、まるで地域が運命共同体のように助け合い、開けっぴろげの良き時代の下町をみるようだった。そして、普段から地域コミュニティごとに様々なお祭りやイベントを催し親密な関係を保持している。
 台風の来る2日前、市からこのバランガイに「delubyoのような台風が来るから、住民を早く避難させるように」という知らせが入った。バランガイのリーダー ラメロさんは、トランジスタメガホンを持って約900世帯を回ってバランガイの人々に避難を促した。下の女性は最初は避難しないと云っていたのだが、ラメロさんの説得で家族で避難したそうだ。避難しなかったら家族は死んでいたかもしれないと云っていた。身体の不自由な人や妊産婦などは隣近所の人が車やリヤカーに乗せて避難を手伝った。このバランガイには4600人が居住しているが、3人しか犠牲者を出さなかった。建物の倒壊率(90%)からしてもこれは奇跡としか言いようがない。
★ギワンの奇跡
 しかし、奇跡といわれる成功事例は常に偶発的に起きるものではなく、必ずそこに至るいくつかの必然的要件やプロセスが隠されている。ギワンの場合、「行政と住民の信頼関係」「首長の危機管理能力(早期避難命令の決断、臨機応変の対応、断固たる指示と行動等)」。さらに、私が提唱してきた「防災隣組」のような「顔の見える地域コミュニティの充実と日常活動」があってこそ、経験したことのない自然の猛威から住民を守ることができたのではないだろうか。
 異常気象時代、日本でも近い将来経験したことのない自然の猛威に襲われる可能性がある。過去の既往災害、固定概念、仮説に基づく被害想定だけにとらわれず、官民共に正しい危機管理知識と意識の啓発・共有システム、そして災害列島日本に住む覚悟と準備をおろそかにしてはならない。

バランガイ リーダーのラメロさん(右)と住民

バランガイの人達が避難した教会


★人的被害が少なかった町は、大人も子供も被災者とは思えないほど明るい(ギワンの子供たち)
 49年間災害現場を回ってきたが、人的被害が多かった町と少なかった町では人々の表情は明暗を分ける。ひとは建物が壊されたことも辛いが、肉親や友人を失ってこころに受けた傷やダメージはすぐには戻らない。表情の明暗だけでなく、その後の復興への意欲や取組も異なり人的被害の少なかった町の復興はいつも早いように思う。

子供たちに「今、一番欲しいものは?」と聞くと、「家!」と大声で答える。そして「台風で壊れない家」という
我々が支援しなければならないのは義捐金だと思った
日本赤十字社/2013年フィリピン台風救援金受付

「メリークリスマス!」道を歩いていると家を失ったという女性から明るい声がかかる



 

★ギワンにも、浮かない表情の人がいる
 彼(上の写真)は、ビバ・コマーシャル(下の写真)という食料品店を経営している。台風が過ぎて2日目に集団略奪に遭って商品をすべて奪われた。そのショックは大きく1ヶ月以上経った今もトラウマのようになっていて、店を再開する気持ちになれないという。 
略奪に遭った商店

ショッピングセンターの商品も略奪された
★少ない警察力で略奪に対応した市長の決断
 台風が襲った翌日の午後から市内の商店に多数の人々が集まり、店内の商品を略奪し始めた。その情報を聞いた市長は限られた警察官(約30人)で全ての商店を守ることは困難、対応能力には限界があると判断。市内の商店主たちに「略奪に遭うまえに商品を避難所に寄付するよう」要請した。そうすれば必要としている人に広く物資を提供できると考えたからだそうだ。そして、商品を寄付する店や商品を警察官がしっかりと保護した。このことは略奪された商店主からは批判の声が上がったが、市長は「それしか方法がなかった」と言っていた。アキノ大統領もギワンの犠牲者の少なかったことと、略奪対応など市長の臨機応変の行動は高く評価している。

停電は続いているが、壊れた市場で再開する店も


 停電で町中真っ暗な中、ボランティアによるクリスマスイベント(警察署前)
子供たちが多数集まってぬいぐるみなどのプレゼントをもらって笑顔を見せていた

その2、レイテ島タクロバンその3、レイテ島オルモック・パロその4、ボホール島地震その他現地調査写真レポート

今回の調査のコーディネーターを務めて下さったのはセブ島のジエイアールエクスプレス・前野社長
被災地の厳しい交通事情などを考え、セブからレイテへ自社の車をフェリーで先乗りさせ待機させるなど、見事な心配りでした
スタッフの人達も私のスケジュールがスムーズに運ぶように、全面的にバックアップしてくれ大変感謝しています
セブ島は台風の影響はほとんどなく、美しい海と治安の良いリゾートとして楽しめます
フィリピンを応援するためにもフィリピンに行ってあげてください
行く前にジエイアールエクスプレス・前野社長にご相談されることをお勧めします
(東京サポートデスク:050-3136-8177)

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