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2010年「奄美豪雨」・写真レポート(写真・文/山村武彦)

鹿児島県奄美市住用町西仲間にある住用総合支所:筆者の手の高さ(地面から約170p)まで浸水
 台風13号(遠く台湾付近通過中)の影響を受け、停滞する秋雨前線に向かって湿った空気が大量に流れ込み、10月15日ころから奄美大島では連日強い雨が降り続いていた。気象庁がほぼ5日間にわたって大雨警報、土砂災害警戒情報を出し、「最大級の警戒」を呼び掛けていた10月20日、さらに記録的短時間大雨情報を3回も出さなければならないほどの猛烈な豪雨が島を襲う。
★被害の多かった奄美市住用町付近における10月20日の主な雨量(名瀬測候所発表)
・午前10時〜13時までの3時間雨量:354mm
・午前10時〜16時までの6時間雨量:562mm
・午前11時〜12時までの1時間雨量:130mm
・午前12時〜13時までの1時間雨量:131mm

・午後4時30分までの24時間雨量:708mm(住用町雨量計)

住用支所内部(10月25日午後)

 九州と沖縄の中間に位置し、鹿児島市南方約380Kmの東シナ海にある奄美大島は、本州など4島を除くと佐渡島に次ぐ面積第5位(面積712.3平方キロメートル)の島である。奄美大島は鹿児島県に属し、奄美市、龍郷町、大和村、宇検村、瀬戸内町の5つの市町村からなる。最大標高・湯湾岳(694.4m)をはじめ、島の約90%は山地・山林が占めていて、山の迫った海岸線と山あい低地に川と街がある。
 最大都市奄美市(人口50,349人)は、2006年3月、名瀬市(41,474人)と住用村(1,851人)、笠利町(7,024人)が合併して発足。旧2町村の役場が総合支所になった。この際、災害時用として鹿児島県が県と各役場との緊急連絡用に配備してあった衛星通信設備が撤去され、新市役所に1台だけ残された。(人口は2006年2月28日合併当時の数)

 国は2004年に発生した各地の豪雨災害を教訓として、2005年3月に避難勧告、避難指示等の判断基準作成ガイドラインをまとめ、全国の市町村に基準策定を呼びかけていた。
しかし、奄美市は住民への避難指示や勧告を出す判断基準を定めていなかった。島のほぼ中央に位置し最も大きな被害を受けた住用町では、住用川の状況を見た住用総合支所職員の判断で、20日午前11時50分避難勧告を発令し、防災無線を通じて住民に避難を呼びかけた。直後に氾濫した住用川の濁流が流れ込み街の水位は急激に上がる。午後0時半ごろには住用総合支所を含め一帯が1.5m〜2mも浸水し、住用総合支所の庁舎1階にあった防災無線機器は濁流に浸かり機能不全に陥る。奄美市総務課は、「雨量や河川の水位なども考慮した明確な判断基準があれば避難勧告や指示をもっと早く出せたかもしれない」と、今後、避難勧告、避難指示などの判断基準策定を急ぐ方針だという。

 国は「非常時の通信手段」として、一般の固定電話や携帯電話が不通になっても使える「衛星携帯電話」などの設置を推奨している。しかし、内閣府の調査(2009年)によると、災害時に孤立する恐れがある全国約1万7千の集落で「衛星携帯電話」が配備されているのは2.3%で、衛星を使った無線の固定電話は1.6%にとどまっている。
 今回、著しい被害を出した住用町は、合併前の住用村当時には高度な衛星通信機材が配備されていたが、奄美市となった際に「1自治体1機材」の方針に沿って県が回収。合併合理化によって住民の安全も合理化されてしまう不条理。

 松本龍防災担当大臣は22日の記者会見で「(中越地震で孤立化した)旧山古志村の教訓が生かされていないのは課題」と問題点を認めたというが、国民の安全に責任を持つべき防災担当大臣の言葉がまるで他人事の評論家コメントに聞こえてならない。

 これまでに判明している被害状況(数字は10月24日現在、今後詳細調査により被害数は増加する見込み)
★死者:3名★軽傷者:2名★全壊:7棟★全焼:1棟★半壊:4棟★一部損壊:8棟★床上浸水:582棟★床下浸水:818棟

住用支所内部(泥水が浸みた書類)

山あいに流れる住用川からみると、住用市街地は川より低い場所にある
(道路を下った緑の屋根の左側が住用総合支所)
住用川が氾濫し一気に濁流は市街地に流れ込んでいった

 氾濫した住用川(10月25日午後)・画面右奥の川沿いにわだつみ苑がある

徳州会グループ/名瀬徳州会病院関連施設・高齢者グループホーム「わだつみ苑」(徳田恵子理事長)

「 わだつみ苑」裏側(右側)の住用川と手前の小河川が氾濫した

「わだつみ苑」(奄美市住用町・1階平屋建て)は1階の天井まで浸水し、入所していた女性2人が死亡
右側の自動販売機の上に押し上げられた入所者の女性2人と自販機につかまっていた入所者男性1人は助かった

記者会見の模様を伝える南日本新聞(2010年10月25日朝刊)

 前の記事にあった「亡くなった2人の高齢者」がしがみついたといわれる廊下のカーテンとカーテンレール(手前右側)

 職員4人のうち、出勤予定の2人は崖崩れで到着できず、当日(10月20日)苑内にいたのは職員2人と入所者9人(70〜90歳代)計11人。奄美市住用町は、昨夜から降り続いていた雨がさらに強さを増し、午前11時から午後1時までの2時間で261mmという記録的豪雨に見舞われ、住用総合支所裏側の山肌が崩壊し、町の南西に流れる住用川は越水し始め、街中は濁流が蹂躙し刻々と水位が上がっていった。
・午前11時30分:気象庁は「記録的短時間大雨情報」を発表、その後も2回発表。
・午前11時50分:状況を見た職員の判断で住用支所は防災無線で「避難勧告」を発令。
わだつみ苑職員Aさん:「避難勧告を聞いたが、外を見たら小雨なので避難を見合わせた
・午後0時00分:わだつみ苑職員Aさん「再度避難勧告を聞き、避難を決意、入所者を玄関付近に集めドアを開けると泥水が流入してきた。水は一気に膝まで上がってきたので、歩行困難な入所者もいて2人で9人を避難させるのは困難と判断、苑内にとどまることを選択。水位はさらに上がってきたため、職員Bさんが救助を求めようと外へ出たが流されてしまった
・午後0時25分:わだつみ苑職員Aさんから大島地区消防組合指令室に119番通報「冠水してきた、入所者が9人いて濁流で避難できない
・午後0時29分:わだつみ苑職員Aさんから再度119番通報「建物内の水かさが上がっている、救助してほしい
 残った職員Aさん1人で9人の入所者を見守っていたが、胸まで水が上がってきたため、力の弱い女性2人に力の強いと思われる男性1人を付き添わせ玄関横の自販機に座らせた。体力があると思われた2人は廊下出入り口付近のカーテンレールに、他の入所者にもカーテンレールにしがみつき離さぬように指示。その後20分で2mの天井まで浸水。
・流されたわだつみ苑職員Bさんは近くの建物にたどりつく。その建物の近くにいた女性に119番通報を依頼。
・午後0時59分:依頼を受けた近所の女性から消防に119番通報が入る「わだつみ苑の職員が入所者を避難させようとしたが、流され、近くの家の屋根の上にいる。濁流で救助できない」女性の声は裏返りながらも必死で助けをを求め続けた「患者さんが浮いたままで助けを求めているんですよ、なんとかしてください!」、消防「何人が取り残されているんですか」、女性「お年寄りは外へ出れないので施設の中に取り残されているんですよ」、やりとりの最中女性の声「危ない!」、消防「道路が冠水していて近づけない状況、危なくない場所に避難してください」女性「なんとかしてください
午後1時過ぎ:近所の人が投げ入れた物干し竿を取ろうとしたAさんも一時流されてしまう。しかし、その後濁流の中を苑に戻り「必ず救助隊が来るから、がんばれ!」と入所者を励まし続けた。
午後2時30分:Aさん、「カーテンレールにつかまっていた女性2人が見えなくなった。心配だった
午後3時30分:最初に到着したのは2人の消防隊員。氾濫した住用川の濁流は凄まじく救出は難航。
 その後に加わった消防隊員、消防団員、駐在所の警察官、住民たち11人が救命胴衣や浮き輪を使って必死の救助作戦が始まる。そして近くの飲食店まで入所者全員を運び終えたのは1報から約3時間47分後の4時13分だった。9人のうち、廊下カーテンレールに2時間以上つかまっていた池ヒサさん(90)と永スエさん(87)の2人は途中で力尽き、水中から救助されたときはすでに心肺停止状態で、住用診療所の医師によって午後5時55分に死亡が確認された。


・午後4時過ぎ、電話中継所が水没。消防への通報も含め一切の電話が途絶えた。最後に救助されたわだつみ苑職員Aさんは、結果として2人の犠牲者を出していることから「
違う方法もあったかもしれない。ベストの方法ではなかったのでは」と語った。

・通報を受けた消防本部通信指令課の郁秀安主幹(48)は、「
危険な状況が伝わってきて、なんとか救出したかったが……。とてもショックです」と音声記録に言葉を詰まらせた。

高齢者グループホーム「わだつみ苑」内部

「わだつみ苑」内部(壁の泥にまみれた指の跡が痛々しい)

 記録的豪雨、河川の氾濫、濁流が流れ込み水没。住民も大変だっただろうが、救助を求められても救助できなかった消防職員も無念だっただろう。温暖化・異常気象時代、「記録的」「観測史上類を見ない」「想像を超える」豪雨や土砂災害はこれからも頻発する可能性が高い。日本には古来から洪水を迎え撃つ「輪中」「水屋」「上げ舟」「助命壇」など水防文化があった。低地にある自力避難困難者収容施設は、こうした先人の知恵を生かすと共に、事前に周囲の住民たちに緊急時の手助けを依頼しておくべきである。避難勧告、避難指示で一斉に駆け付ける仕組みづくりが大切である。また、低地、急傾斜地、山間地に位置する住宅や施設は、ライフジャケット、浮き輪、ロープなどを準備すると共に、実践的訓練を繰り返し実施する必要がある。防災・危機管理対応力向上は、行政だけに頼らず、自助と近助の町ぐるみ協力体制があってこそである。

天井まで浸水した家が多かった

洪水時、近くの平らな屋根に避難して多くの人が難を逃れた

「遠くの避難所より近くの二階家」
避難勧告の遅れ、短時間での浸水などを考えると、2mもの床上浸水が582棟にも上るにもかかわらず人的被害が少なかったのは、奇跡的ですらある。被害が少なかったのは、台風の常襲地帯であることと、近隣住民が助け合って臨機応変に適切避難したことによるものと推察する。この住宅(上の写真)の屋根にも老若男女の多くの人が引っ張り上げられ、押し上げられして危機を脱した。
職員とお客さんたちが屋根に上った住用郵便局

 午後1時過ぎに冠水したNTT電話交換所(住用町)
住用町の2箇所ある電話交換所は、1箇所浸水、もう一か所は土砂崩れで回線切断(NTT西日本鹿児島支店)で不通となった

 
 猫も怯える
住用総合支所裏手の住宅・1階ひさし下まで浸水(ガラスに水位の跡が残されている)
この家の飼い猫はその上のひさしに逃れた。その後も恐怖におびえ家人が梯子をかけて降ろそうとしても動かない
しかたなく、近くに水と食料を置いたが水害から5日経っても食べようとしないそうである。

 
 裏山が崩れ破壊された民家(大和村)

4日ぶりに泥が取り除かれた住宅(大和村)

泥に埋もれ濁流に襲われた消防団詰所(大和村)

 
 濁流で破壊された建物(奄美アイランド)



龍郷町に通じる道路沿い斜面が約90mの高さから崩落
このような土砂災害が各地で発生し道路交通網が寸断された
25日現在で土木被害は141か所とされるが、調査が進むにつれさらに被害は増えるとみられる



大和村に通じる道路の陥没

記録的豪雨で各所に深い爪痕が残る

河川の護岸が崩れ決壊

知名瀬地区で床下浸水した住宅で水害2日後の10月22日、火災が発生した。地元消防団が消し止めたが内部は全焼状態
停電していた電気が午前11時45分ごろ復旧したが、その約5分後に火災が発生したという
出火原因は不明だが、焼けのひどいのは壁の配線付近で通電火災の可能性も指摘されている
当日は98歳の祖母と高校2年の長男が在宅していたが二人とも寝ていたとのこと
幸い、近くにいた人たちが煙に気付き二人救出したので人身被害はなかったが、室内は真っ黒に焦げていた
通電される前に防災無線で「ブレーカーを落とすよう」呼び掛けがあったようだが、寝ていた人たちに届かなかった模様

「水が出たら、遠くの避難所より近くの二階家」
龍郷町戸口地区の道路は戸口川決壊で周囲は胸の高さまで浸水。アスファルト約200mが流された。
道路はガレキと濁流で車が次々と流される中
右側の青い2階建て住宅に住む重田さんは、平屋に住む近所の住民約10人を2階に避難させ難を逃れた。
重田さん(77)は、小学校教諭退職後も教育委員などを務め、地域では「先生」と呼ばれ信頼と尊敬を集めている人である
普段から、イザというときは隣近所の助け合いが大切と考え、水位が上がってきたとき声をかけて回ったという
近助の精神」を発揮した重田シオリさん

流されたアスファルト

床上浸水で捨てられたもの(龍郷町戸口港)

自販機もATMも浸水し機能不全に陥っていた

 LPGボンベは濁流に浮かび翻弄され、一部でガス漏れも発生した
オスバン(ベンザルコニウム塩化物)液による消毒も始まる

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