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2010年ハイチ大地震・災害画像
 2010年1月12日午後4時53分(日本時間平成22年1月13日午前6時53分)ごろ、中米ハイチ(Haiti)共和国(人口約1000万人)・首都ポルトープランス南西16Km(北緯18.5度、西経72.5度)を震源とするM7.0(米国地質調査所)、震源の深さ約10Kmの地震が発生。この地震で多数の家が倒壊し大勢の人々が下敷きになって死傷した。死者は約22万にといわれている。
犠牲者のご冥福を祈り、被災者に心よりお見舞い申し上げます
死者20万人以上
 首都は大統領府、国税庁、財務省など中央官庁の建物は軒並み全壊している。ハイチ政府が行政能力を喪失しているため、家の下敷きになっている人たちの救出救護、被災者保護(水・食料の供給、避難施設の提供など)の緊急対応ができていない。ハイチのビアンエメ内務省は15日、収容された遺体だけで5万体に達し、死者数は10万人以上で最大20万人に上る可能性があると発表。それを裏付けるように1月25日までに12万人の死亡が確認されている。現地からの報道によると遺体が道路・空き地に放置され腐臭を発し、重傷者の手当ても適切に行われておらず悲惨な状況にあるとのこと。停電、断水、水・食料・日用品・医師・医薬品が不足し、いらだつ被災者たちが数箇所で遺体を積み上げ道路を封鎖しているという情報もある。
 国連専門機関の世界食糧計画(WFP)は15日、首都ポルドープランスにある食料保管施設が住民らの略奪に遭ったと報告した。地震前に約15000トンの食糧が貯蔵されていたがかなりの部分が略奪されているという。首都内の食料品店でも略奪が起きているとのこと。救援物資を運び入れる空港の受け入れ機能が小さく、港湾も崩壊していて船舶が入港できない状態という。このまま救援が遅れれば暴動に発展する危険性もある。痛ましい限りである。一刻も早く国際支援の手が被災者に届くことを願いたい。こうしたときこそ国連は主導権を発揮し人道的緊急対応を急ぐべきである。45年間災害現場を回ってきたが、被災地でいつも感じるのは常に貧しい人たちが犠牲になるという哀しい現実である。
人道支援を急げ
 米国オバマ大統領は「生存者を救い、惨事を拡大させないために最初の数時間、数日間が決定的に重要」と述べ、ハイチ国民に対し「我々はあなた方の困難を見過ごさない、最大限の支援を約束する。希望を捨てず勇気を失わずがんばってください」と励ました。コメントどおり、世界最大の病院船・コンフォート(一般病棟1千床)を派遣し、医療関係者15000人を送ることを決めた。その上クリントン国務長官は救援物資を満載し15日に被災地に入り「我々は全力を挙げて被災者救援に当たる」と述べ、オバマ大統領はブッシュ、クリントン両前大統領に要請し、ハイチ復興基金を発足させ同日からテレビを通じ全米に募金を呼びかけた。
 中国は直後に第1陣の国際救助チーム68人と合わせて捜索犬、機材約20トンの救援物資を積んだチャーター便をバンクーバー経由でハイチに派遣し、地震発生33時間後に被災地に到着。ただちに救助活動を開始、1日で110人の治療に当たるなど救援外交を強力に推進し国際貢献を強くアピールしている。ハイチと国交のある台湾への牽制ではあるが、アメリカ以外の国では一番乗りと世界中で報じられ、したたかさな外交手腕をを見せつけた。
 フランスはがれき撤去の専門家65人と捜索犬6頭を緊急派遣。さらに救援物資を積み外科手術施設を持つ軍艦2隻を派遣すると共に、サルコジ大統領がハイチ復興支援国際会議開催を呼びかけた。そのほかブラジル、カナダ、イスラエル、キューバ、プエリトリコ、イギリス、ドイツなど30カ国以上の国々も発災直後に緊急救助隊を派遣。WHO(世界保健期間)は遺体収容のための専門家を派遣し、国際赤十字社は大量の遺体収納袋を被災地に送っている。また、欧州連合(EU)は18日、緊急の開発担当相会合を開催し、ハイチ復興支援のため4億2900万ユーロ(約557億円)を拠出することを決めた。このうち緊急人道支援として1億3700万ユーロ、中長期復興支援に2億ユーロをUE予算から出し加盟国から9200万ユーロを供与する。
 イタリアのフラティニ外相は17日、同国政府が持つハイチの対外債務4000万ユーロ(約52億円)を免除する方針を示した。また、580万ユーロの対ハイチ債権のうち、すでに400万ユーロの免除を決めたフランス政府も一段の減免を検討している。ハイチの旧宗主国フランスはパリクラブ(主要債権国会議)に対し、ハイチの債務減免を要請し、パリクラブは昨年7月、各国が持つ約2億1500万ドルの債権のうち約6270万ドルの免除で合意している。
 防災大国(?)日本は、3日後に派遣を決めた調査チーム6人と医療チーム20名をようやく地震後6日目の現地に送り、500万ドルを上限とする支援を決めた。そして、各国の状況を判断してか、自衛隊の医官及び看護師など100名を地震発生8日後の21日に派遣すると共に、その後7000万ドルの復興支援を発表した。現地の治安、政情などの状況把握が厳しいかったとは思うが、日本政府の当初の動きは各国に比べ鈍かったように思う。ぎくしゃくする同盟国アメリカの裏庭カリブ海で発生したハイチ地震に対し、米国民は大量の避難民が米本土を目指すのではとか、あるいはハイチの政情不安が中米諸国に波及することを懸念していた。そういう微妙な時期にこそ、迅速な救援行動を同盟国日本が示せば米国民の心を打つことができたであろうに、誠に残念。民主党政権の決断できるリーダー不在、未熟な外交能力を世界に露呈した感がある。困難に陥った貧しい300万人の受難者に対し、同時代に生きる先進国としてもその良心と行動が問われていることを忘れてはならない。

受刑者3000人脱走「非常事態宣言」
 地震の混乱に乗じ、旧民兵組織の幹部を含む約3000人の受刑者が看守などの銃器を奪い刑務所から脱走、首都ポルトープランスのスラム街に戻り、被災地での略奪行為などを扇動していると見られる。受刑者の多くは2004年の政変で追放された当時のアリスティド大統領派の民兵組織などに所属し、野党勢力の弾圧や麻薬・武器密売にも関与していたとされる。政権崩壊を受けて始まった国連平和維持軍(PKO・軍民合計11000人)は民兵の存在などで悪化した治安回復が主要任務だっただけに、今後再建の不安要因として懸念される。15日、ハイチ政府は治安悪化に伴う「非常事態」を宣言し、国連、米国などに治安維持活動強化を要請した。17日にプレバル大統領と会談したクリントン国務長官との「治安回復・復興支援」に関わる共同声明を発表。それに応えアメリカは原子力空母カールビンソンを派遣し、精鋭の陸軍第82空挺師団に続き第22海兵遠征部隊(MEU)の合計約10000人を展開させ、治安回復・維持に努めることなった。国連安全保障理事会は20日、ハイチ支援に関する会合を開いて現地の治安悪化を受けPKOで治安部隊を3500人増派することを決めた。日本政府は国連PKOへ自衛隊派遣を決めた。
犠牲者のご冥福をお祈りし、被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
防災・危機管理アドバイザー:山村武彦

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上は地震前の大統領宮殿・下は地震後





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都市直下地震
 2010年1月12日午後4時53分(日本時間平成22年1月13日午前6時53分)ごろ、中米ハイチ(Haiti)共和国(人口約1000万人)・首都ポルトープランス南西16Km(北緯18.5度、西経72.5度)を震源とするM7.0(米国地質調査所)の地震が発生した。首都ポルトープランスでは大統領宮殿をはじめ多くの建物が倒壊し一説には死者十万人以上といわれる大きな被害を出している。電気、電話などが断絶し被害の全容はまだ不明。震源の深さが約10Kmと浅いため、余震が頻発している。
 この地震の震源は首都ポルトープランスから西南西約15kmの地域にある北米プレートとカリブプレートの境界・エンリキロ(Enriquillo-Plaintain Garden)断層が動いたものと見られている。地震のメカニズムは、上下に動いたのではなく1995年の阪神・淡路大震災(右横ずれ)と似た逆断層成分を持つ左横ずれと推定されている。過去この断層で地震が発生したのは1751年だった。カリブ海には複数のプレートが複雑に影響しあう場所で隣国ドミニカでは1946年にM8.1の地震が発生約100人が死亡し、ジャマイカでは1907年にM6.5の地震で1000人が犠牲になった。ハイチはこのところ大きな地震が発生していない空白域になっていて、地殻にひずみが蓄積していたものと推察されている。

政情不安な脆弱都市
 西半球の最貧国といわれるハイチは、1957年から1986年まで続いたデュバリエ父子の独裁政治によりインフラ整備は放置された。その後も民政移管とクーデターが繰り返され、進まないインフラ整備・脆弱な防災対策のため、災害が発生するとすぐに大惨事に発展する。米ソ冷戦時代に軍事独裁政権を経験した他の中南米諸国が、90年代ごろから民主主義を定着させインフラ整備を推進してきたのとは対照的で、ハイチ国民はいまだその恩恵に浴していない。
 防災対策なども大きく立ち遅れており、ハリケーン襲来のたびに大きな被害を繰り返してきた。2008年秋には暴風雨で800人が死亡、道路・橋梁などが破壊されたほか農作物も大きな被害を受け、約15万人が数ヶ月にわたって避難生活を余儀なくされた。 政情不安から経済は落ち込み、慢性的食糧不足に陥り、治安も悪く、大規模な暴動もたびたび発生してきた。2008年4月にはコメ価格高騰によって死者を出す大規模な暴動も発生している。
 ハイチには2004年からブラジル、チリなど主な中南米諸国の要員で構成された「国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)」が駐留し、治安維持にあたっている。今回の地震で、その国連派遣団本部の建物が倒壊し、多くの要員が犠牲になった。ハイチの警察力が低下しているため治安情勢がこの地震によってさらに悪化するのではないかと懸念される。米国は治安維持にあたるための軍隊を派遣した。


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画像提供:AP、AFP、REUTER等