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  稲むらの火だけではない、濱口梧陵の偉大な足跡

広村堤防


広村堤防の説明と濱口梧陵を称える掲示板


現在も残る広村堤防 赤門と呼ばれる防潮扉

 上の左図水色の部分が安政南海地震(1854年)津波で浸水した広村、上の右図は広村堤防があったお陰で昭和の南海地震(1946年)津波の際は村の中心地(図の中央部)が浸水を免れ、被害が少なかった。


 左側の写真は広村堤防のお陰で昭和南海地震で被害を免れた町の人々が建てた碑。私財を投げ出して廣村堤防を築いた濱口梧陵を称え「感恩碑」と呼ばれている。

 毎年11月、この碑の前で津浪祭りが開かれ、偉大な先人への感謝と防災への誓いを新たにしている。津浪祭はすでに百回を越えた

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