イラン地震救援募金||イラン概要東南海・南海地震阪神大震災防災システム研究所防災講演


2003年12月26日、イラン地震(死者4万2千人)

7割の家が倒壊。震災孤児6000人。古都は悲しみと絶望の中にある
 2003年12月26日午前5時30分(日本時間午前11時)、イラン南東部でマグニチュード6.5の強い地震が発生。この地震でケルマン州バム市にある建物の約7割が崩壊した。ハタミ大統領は記者会見で、この地震で4万人が死亡と発表した。今後死者は5万人にも達する可能性もある。
 震源の深さは約4Km(東大地震研究所)〜10Km(米国地質調査所)と、極めて浅い直下型で、真上のバム市は烈しい揺れに襲われたと推測される。日干し煉瓦造りの家屋は一瞬にして崩壊し、ほとんどの犠牲者は瓦礫の下敷きによる圧死とみられている。電気、水道が止まり、水・食料など生活物資が不足し、約10万人の被災者は寒さの中で悲しみと絶望の中にある。
 州都ケルマンにイラン保健省が開設した孤児の収容施設で、幼い子はショックからか小さな物音にもおびえ、亡くなった母親を探し求めながら泣き続けていた。家族や親族が皆死んで、1歳前後とみられるその女の子の名前を知る人は誰もいなかった。施設職員がペルシャ語で「可愛い」を意味する「シーマちゃん」と名付けた。その子は26日未明、泥造りの家が全壊した建物から救助されたとき、右腕を骨折していた。職員が抱きしめあやそうとしたが、2日間泣きやまなかったという。このような震災孤児はすでに6000人以上に上っている。
イラン地震現地調査報告書イラン地震災害救援募金
救援隊派遣のタイミングと義捐金
米国は直ちに200人の救助隊を送るなど、国際的な援助活動が活発化している。日本は25人の救助隊を送り、年明けに自衛隊派遣の検討をしているが、既に時期を失している。災害救助のタイムリミットは72時間。イランの内務相は28日、「もう外国の救助隊はいらない」と言明した。義捐金を送る場合も、直接被災地へ届けないと被災者の心に届かない。時には途中でなくなってしまうこともある。私は過去100箇所以上の現地調査を実施してそれを痛切に感じる。|山村武彦
(以下写真/AP)

  

 町の広場は、毛布にくるまり、寒さとショックで泣き続ける子たちで埋まった。「家族をみんな亡くした。両親も、おばあさんも、2人の姉妹も、がれきの下敷きになった」と若い女性のマリヤムさん(17)は話した。(ロイター)
 アリと名乗る男性は、「17人の親類が崩れた家の下敷きだ。助け出さないと死んでしまう」と話しながら、がれきをシャベルで取り除こうとしていた。(AFP)
イラン地震災害救援募金

  
  
崩れた自宅跡でモフセンさんは、「地響きが聞こえたと思ったら、強い横揺れが襲い、1秒もたたないうちに家が崩れた」と悪夢を振り返っていた。妻と娘が遺体で見つかった老人は「アラー・アクバル(神は偉大なり)」と泣きながら祈りを捧げていた。
  
 多くの犠牲者を出したケルマン州古都バム市では、遺体を埋葬するためブルドーザーで穴を掘り、集団埋葬しているが、それでも間に合わず、数千の遺体が布に包まれて野ざらしになっている。このままでは伝染病の広がりが懸念されている。
「砂漠のエメラルド」が壊滅した
ケルマン州バムは、イランの首都テヘランから南東約1,000Kmにある市で、人口は約20万人。世界的に有名な史跡、バム城塞(紀元前247年〜226年に構築)がある古い歴史の街である。イラン概要
バムは、中国に至るシルクロードと、インドに至るスパイス(香辛料)ロードに位置する交通の要衝として、「砂漠のエメラルド」とも呼ばれる美しい街で、異民族攻防の舞台でもあった。豊富なわき水と強烈な日差しを利用し、古来、ナツメヤシやオレンジなどの生産が盛んで、州都ケルマンから車で二時間。こつ然と姿を現すバムは、まさに砂漠の中に浮かぶ緑の島だった
 バム城塞都市跡「アルゲ・バム」は日干し煉瓦を積み上げ、粘土で固めて構築されており、今回の地震で大半が崩壊した模様。そのほか市庁舎、市議会などの行政機関、モスク、学校、病院など、市民生活基盤がほとんど崩壊した。カリミ州知事は「歴史的な地区は完全に倒壊した」と語り、シャフィイ・バム市長は国営テレビに「バムはゼロから建て直さなくてはならない」と嘆いた。
 ギリシャ政府は直ちには25万ユーロ(約3400万円)の支援金とともに、25人の救助チームを即座に派遣。ドイツ、ベルギー、スペイン、トルコも救援隊を送った。国連人道問題調整事務所(OCHA)の報道官は26日、イラン地震の救援のため、支援チームを現地に送るとともに9万ドル(約970万円)を拠出すると発表した。ロシアは120人の災害救助部隊と救援物資を積んだ大型輸送機2機をモスクワから派遣し、米国は200人の救助隊と15万ポンドを送った。日本政府は国際協力機構(JAICA)医療チーム5人を27日に派遣、後続部隊20人は29日に出発する。また、英国に備蓄している発電機や6人用テント、毛布2000枚などの救援物資をイランに送った。さらに27日には77万ドル(約8300万円)の緊急無償資金協力を行うことを決め、シンガポールにある救援物資を航空自衛隊がケルマンに届けた。

これまでイランで起きた地震
78年9月16日 北東部でM7.7、死者約2万5000人
81年6月11日 中南部でM6.9、死者約8000人
90年6月21日 北西部でM7.7、死者約3万5000人
97年2月28日 北西部アルダビル州でM5.5、死者約800人
81年5月10日 東部ケルマン州でM7.1、死者約1500人
02年6月22日 北西部でM6、死者約230人
イランは、ユーラシアプレート、アラビアプレート、インド・オーストラリアプレートの三つのプレートがぶつかり合う地震の巣の上にある。陸地内にも小さな活断層がひしめき、プレートの動きによって活断層にひずみが生まれ、そのひずみ(活断層)が内陸部の地震を繰り返し発生させている。今回の地震の深さは4Km〜10Kmときわめて浅い地震であるところから、都市の真下で発生した直下型地震と考えられている。浅い直下型地震は阪神大震災のように、被害範囲は狭いにもかかわらず大きな揺れで大惨事になることが多い。今回の地震は1981年に発生したケルマン州地震(死者1500人)と同じ場所で発生したものと思われる。

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