東海道、南海道の地震 防災システム研究所     東南海地震、南海地震で7400人以上が死亡する可能性がある

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東海道、南海道の地震

 東海道、南海道の地域は過去100年〜200年周期で繰り返しマグニチュード8クラスの巨大地震が襲来し、震災と津波災害に見舞われその都度大きな被害を出してきました。
 日本列島は四つのプレートがせめぎあう世界有数の地震国です。中でもユーラシアプレートとフィリッピン海プレートの接点である駿河トラフ、南海トラフ周辺では、東海道側で巨大地震が発生すると、その短時間後には南海道側でも巨大地震が発生する特徴があります。
 連続巨大地震が発生した場合、救援物資、救助隊が迅速に被災地に入ることは困難であり、ライフラインなどの復旧活動は大幅に遅れると予想されます。
 そうした最悪をシュミレーションした地域防災計画が必要です。東海地震と東南海・南海j地震発生の切迫性が叫ばれている今日、単独地震発生に対する防災対策だけでなく、連続巨大地震発生に対応する市民の防災意識啓発と、実践的な防災対策が焦眉の急であると思われます。防災は「悲観的に準備をして、楽観的に行動する」ことが原則です。|山村武彦
  
日本列島は真っ赤になって見えなくなるくらい地震が多発しています。世界有数の地震国と呼ばれる所以です。

 日本列島や北米及び中南米の太平洋岸に沿って発生する巨大地震は、太平洋の海底(プレート)が陸の下に沈み込んでいく運動(プレートテクトニクス運動)によって発生します。沈み込むとき、海底の岩盤が陸の地殻の先端を少しずつ引きずり込み(巻き込んで)、それがやがて変形してストレス(応力)が溜まり、遂には引きずり込まれた陸の端が一気に跳ね上がります。その時に巨大地震と津波が発生するのです。地震は岩盤に溜まったストレスが岩盤の破壊によって急激に解放される現象です。
 このような考え方から、環太平洋地震帯で発生する巨大地震の起こり方を調べた東京大学名誉教授力武常次先生は「地震予知論入門」の中で、南海道、東海道地域の巨大地震はほぼ117年(標準偏差35年)の平均繰り返し間隔で発生すると発表されています。他の学者はこの地区で発生する地震はもっと切迫しているとも言っています。
 これは過去の巨大地震の記録も裏付けています。1707年(宝永4年)宝永地震の147年後、1854年(安政元年)安政東海地震と、その32時間後に安政南海地震が発生しています。それから90年後の1944年(昭和19年)の東南海地震とその2年後の1946年(昭和21年)のいずれもマグニチュード8クラスの巨大地震が発生していることでも明らかです。
 海底で巨大地震が発生すると、津波も発生します。TUNAMIと言う言葉が国際語になるほど、海底で巨大地震が発生するたびに日本では甚大な津波被害に見舞われていますので、津波防災対策も大変重要です。
 また、プレートと連動し又は単独で内陸部でも活断層などの地震も発生しています。現状では活断層の地震はほとんど直前予知が不可能と言われています。いつどこで大規模地震が発生してもいいように今から準備が必要なのです。
この地域の発展は目覚しく、日本の経済の中心地となっています。東海道新幹線、東名高速道路をはじめ、有数の人、モノの交流・物流地域でもあります。この地域で連続巨大地震が発生したとしたら、想像を絶する大災害に発展すると懸念されます。国は大規模地震防災対策特別措置法、及び東南海・南海地震特別措置法などを制定し、地方自治体と共に防災対策を強化していますが、行政だけに頼るのでhなく、企業や市民の防災意識と防災度の向上が不可欠となっています。稲むらの火

 
上は、推古天皇のころ、日本で初めて地震被害の記述が現れた「日本書紀」(江戸時代の活字本)東京国立博物館蔵

東海道、南海道で発生した地震
地震発生 年月日 地震の規模 震源 地震の名称(被害概要)
416年8月23日(允恭5年7月14日) 不明 遠飛鳥宮付近 大和河内地震(日本書紀に地震とのみ記載、被害の記録はないが、わが国の歴史に現れた最初の地震)
684年11月29日(天武13年10月14日) M8.0 南海・東海道 白鳳の南海・東海地震(山崩れ、家屋、社寺の倒壊多数。津波の襲来後、土佐で船が多数沈没、田畑約12平方キロメートルが沈下し海となったと記録されている)
887年8月26日(仁和3年7月30日) M8〜8.5 五畿七道 仁和の南海・東海地震(京都で民家、官舎の倒壊による圧死者多数。特に摂津での被害が大きかった)
1096年12月17日(永長1年1月24日) M8〜8.5 畿内・東海道 永長の東海地震(皇居の大極殿に被害があり、東大寺の巨鐘が落下、近江の勢田橋が落ちた。津波により駿河で民家、社寺400余が流失)
1099年2月22日(康和1年1月24日) M8〜8.3 南海道・畿内 康和の南海地震(興福寺、摂津天王寺で被害があった。土佐で田畑1,000町余が海に沈んだ。津波によるものらしい)
1185年8月13日(文治1年7月9日) M7.4 近江・山城大和 文治の京都地震(京都の白河辺の被害が最も大きく、宇治橋が落ちた。社寺、家屋の倒壊で死者多数)9月まで余震続く)
1361年8月3日(正平16年6月24日) M8〜8.5 畿内・土佐阿波 正平の南海地震(摂津四天王寺の金堂が転倒し圧死者が出た。津波で摂津、阿波、土佐に被害があった。阿波の雪(由岐)湊で家屋1,700戸余が流失、60人余が流死)
1498年9月20日(明応7年8月25日) M8.2〜8.4 東海道全域 明応の東海地震(紀伊から房総にかけてと甲斐に大きな揺れがあった。津波の被害が大きく、伊勢大湊で家屋1000戸、溺死者5000人。伊勢志摩で溺死者10000人、静岡県志太郡で溺死者26000人などの被害)
1586年1月18日(天正13年11月29日) M7.8 畿内・東海北陸 天正の飛騨美濃近江地震(飛騨白川谷で大山が崩れ、民家300以上が埋没。死者多数。余震は翌年まで続いた)
1596年9月5日(慶長1年閏7月13日) M7.1 畿内 慶長の京都地震(三条から伏見で最も被害が大きく、伏見城天守閣大破、石垣が崩れ約500人が圧死。堺で600人以上が亡くなり、奈良、大阪、神戸でも被害があった。余震が翌年4月まで続く)
1605年2月3日(慶長9年12月16日) M7.9 東海南海西海 慶長の東海・南海地震(犬吠崎から九州までの太平洋沿岸に津波が来襲し、八丈島で死者57人、紀伊西岸広村で700戸流失、阿波宍喰で死者1500人、土佐甲ノ浦で死者350人、、室戸岬付近で400人以上が死んだ)
1662年6月16日(寛文2年5月1日) M7.6 山城駿河信濃 寛文の琵琶湖西岸地震(比良岳付近で被害が大きく、滋賀唐崎で田畑が湖中に没し、倒壊家屋1570、大溝では倒壊で1020戸以上、死者37人、彦根で倒壊家屋1000戸、死者30人以上、榎村で死者300人、戸川村で260人以上死亡、京都で倒壊家屋1000戸、死者200人以上の被害があった)
1707年10月28日(宝永4年10月4日) M8.4 5畿7道 宝永地震(死者2万人余、倒壊家屋6万戸余、土佐を中心に大津波が襲った。わが国最大級の地震)
1854年12月23日(安政元年11月4日 M8.4 中部、紀伊 安政の東海地震(死者2000人〜3000人余、倒壊及び焼失家屋3万戸余、津波多数発生)
1854年12月24日(安政元年11月5日) M8.4 近畿中南部 安政の南海地震(32時間前の安政東海地震と区別が明確でないが、死者は1000人余、串本では11mの津波)
1899年(明治32年)3月7日 M7.0 三重県南部 紀和地震(奈良、三重県南部、和歌山県南東部で被害)
1935年(昭和10年)7月11日 M6.4 静岡県中部 静岡地震(死者9人、倒壊家屋363戸、道路、鉄道に被害)
1944年(昭和19年)12月7日 M7.9 東海道沖 昭和の東南海地震(静岡、愛知、三重で甚大被害、死者行方不明1,223人、倒壊家屋17,599戸、流失家屋3,129戸、津波発生、地盤沈下あり)
1945年(昭和20年)1月13日 M6.8 愛知県南部 三河地震(死者2,306人、倒壊家屋7,221戸、深溝断層出現、津波発生、地震の規模の割りに被害甚大)
1946年(昭和21年)12月21日 M8.0 南海道沖 昭和の南海地震(中部以西で被害甚大、死者1,330人、倒壊家屋11,591戸、焼失家屋2,598戸、津波発生、地盤沈下あり)
1965年(昭和40年)4月20日 M6.1 静岡県中部 静岡地震(清水平野地域で被害甚大、死者2人、倒壊家屋9戸、清水港で27cm沈下)
2009年(平成21年)8月11日 M6.5  駿河湾沖  静岡駿河湾地震(震度6弱:静岡県伊豆市、焼津市、牧之原市、御前崎市)死者1名、負傷者245名、東名高速道路牧之原インター付近で路肩崩落。


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